都市の騒音と難聴

 

はじめまして。編集スタッフのmimiです。本日よりツイートに参加させていただきます。よろしくお願いいたします。

 

さて、過去何度か認知症と難聴に関するツイートがありましたが、興味深い記事がありましたので皆様にお伝えします。

 

スーダンには難聴がいない?!
“難聴は認知症最大のリスク、嫌がらず補聴器を~アフリカ・スーダン部落では80代でも難聴なし、予防が肝心”

 

サブタイトルにつられて記事を読んだのですが、騒音の少ないアフリカなどでは80代になっても難聴がいないそうです。

難聴は加齢だけでなく、日々の騒音によってダメージが蓄積されることによっても生じます。都市の騒音に日々さらされることで、聴力が低下するのですね。住む場所を変えることは容易にはできませんが、意識して静かな空間で過ごす工夫ならできそうです。

 

また、世界都市ランキングと聴力低下のランキングを比較した結果、都市の騒音と聴力低下の間に関連が見られたという研究(出典サイトは後述)がありました。これは予備調査の段階だそうなので、今後の研究も待たれるところです。

 

騒音ランキングで上位の都市の住民は、静けさで上位の都市の住民と比べ、聴力損失で平均10歳分「高齢」という結果が出た。
(中略)研究者らによると、中国の広東、インドのニューデリー、など、高デシベルの都市地域は、聴力低下のランキングでも上位に挙がった。一方、スイスのチューリヒ、オーストリアのウィーンなど、騒音公害が少ない都市は聴力低下の少ない一群だった。

 

今後調査が進むと、“住むだけで健康寿命が延びる都市”というランキングができるかもしれませんね。

 

 

 

電気機器の音量に気をつけよう―聴力低下予防は認知症予防!―

 

本日は認知症Cafést Online編集スタッフのKが、Editors Tweetをお届けします!

認知症と聴力低下について

先日のtweet(「予防できる認知症、9つの要因について」 )にてランセット委員会(Lancet Commissions on Dementia Prevention, Intervention and Care:以下ランセット委員会)の報告書について書きましたが、今回は、9つのリスク要因の中から認知症と聴力低下についてお伝えいたします。

 

前回、認知症予防に関して全症例の35%の原因が予防可能として挙げられているとお伝えしましたが、予防可能な原因の中で最も比率の高いものとして聴力低下が挙げられています。逆を言うと聴力低下(難聴など)をしっかりと管理していくことが認知症の原因要因としてのリスクを軽減することとも言えます。

聴力低下の要因となる環境―電気機器の音量に注意―

私たちの生活の中には多くの聴力低下の要因となる環境が存在しています。例えば電気機器類の音量などがそうです。ヘッドフォンを使用しての音楽鑑賞や、テレビの音量などがあります。

 

大きな音量で音を聞き続けることにより、騒音性難聴などにもつながるとされており、全米では約4000万人を超える方が騒音性難聴ともいわれています。

 

騒音性難聴は自分たちで予防できる騒音ともいわれています。音楽プレイヤーの音量を下げる。騒がしい場所では耳栓を利用するなどが重要です。

耳鼻咽喉科へ定期的に足を運ぶと良いのでは?

また、最近聞こえがよくないなぁ…と感じている方や、心配事などがある方は、お近くの耳鼻咽喉科へ行ってみるのもよいと思います。定期的に足を運ぶことで、認知症予防のリスク管理にもつながります。

 

今後も、認知症のリスク要因についてお伝えしていきますので、乞うご期待!!

 

認知症国会勉強会で「当事者を起点とした地域づくり」について話を聞く―障害福祉と比較しながら―

 

こんにちは。Cafést編集スタッフのマツです。

認知症国会勉強会―当事者を起点とした地域づくり―

先日衆議院議員会館で開催されました、鈴木隼人議員主催の認知症国会勉強会に、編集者Sとともに参加してきました。
当日は、認知症介護研究・研修東京センターの永田久美子様の当事者を起点とした地域づくり~日本全国どの地域でも、希望のある未来を創る近道~」という講演を拝聴し、その後質疑応答となりました。

 

講演の主な内容

以下は私が感じた講演の主な内容です。
※趣旨から外れた点もあるかと思いますが、その場合の文責は私個人にあります。

 

  • 認知症になっても、認知症患者としてではなく、個人としてその人らしい暮らしがしたい
  • 認知症を予防しても、一人だったり、不安があったりしたら、良い暮らしとは言えない。予防の先にどんな暮らしがあるかがが大切である
  • 1970年代から現在まで、認知症を病気ととらえ、当事者(本人)の思いを抜きにして認知症患者としてとらえ、治療をしてきた状態から、当事者個人にフォーカスを当て、その思い・尊厳・その人らしさを大事にしながら生活の支援をする方向に変わってきている。このようなパラダイムシフトが、社会全体に一層求められている

 

障害福祉も同じだった

私が障害当事者であるため、どうしても障害福祉の取り組みと比較してしまいますが、上記のような内容は障害福祉の分野でもかなり同じことが言えると感じました。

 

一昔前まで多くの障害者は外出もできず、就職もできず、自宅で無為に過ごすだけの日々を送っていました。私は現在40過ぎですが、中高生の頃に一人でファストフード店にでも入ろうものなら、すべての店員が大わらわになっていたものでした。それだけ、社会に障害者を受け入れる度量もなく、奇異なものとして扱われていたということです。
そこから、さまざまな法律の施行、ハード面をはじめとしたバリアフリーの充実などの恩恵を受けて、徐々に社会参加や自分らしい生活を営めるようになっていきました。

 

現在は2020年の東京オリンピック・パラリンピックの追い風も受けて、障害当事者は障害者というレッテルで見られることから、徐々に、その人個人として見られるようになってきています。
とはいえ、この状況には大きな地域差があるとも感じています。上のようなパラダイムシフトが起きている地域がある一方、いまだに旧態依然として障害者を自宅でしか過ごせないようにし、個人ではなく障害者というレッテルで、あるいは保護の対象としか見ようとしていない地域も、これまた存在しています。

認知症を取り巻く今後の社会

では上記を踏まえて考えると、認知症を取り巻く社会は今後どのように変わっていくのでしょうか。以下、私なりに予想(妄想?)してみました。

 

  • TVなどのマスメディアや芸能などの分野で、いわゆるスターとなるような認知症当事者が増加する
  • 一定以上の従業員数の企業において、認知症当事者の雇用率が定められる
  • 業務の細分化(切り分け)が進み、可能なものを認知症当事者が担うようになる
  • 認知症当事者が認知症当事者に対してサービスを提供する業態の登場
  • 認知症当事者が店員となり、客が店員を少しだけサポートしながらサービスを受けるような業態の登場
  • 公共交通機関や繁華街などで、認知症当事者を見かける回数の増加

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。
様々な知見から明らかなように、今後、認知症を抱えた方の数は明らかに増加します。認知症は私たちの生活の中で、ますます身近になります。
その時、認知症当事者がどうしたら自分らしく生き生きとした毎日を過ごせるか、そのために周囲の人たちはどのような考え方や接し方をしたらいいか……。
これは認知症予防とともに、とても重要な視点です。今のうちからみんなで考えたいですね。

 

 

 

百寿者の科学と40代から出来ること

 

こんにちは。認知症Cafést編集スタッフのSです。
百寿者を科学するという記事が目に留まりました。

 

100歳以上の「百寿者」を科学する その体の共通点は|朝日新聞デジタル2019年5月2日付(有料記事)

センテナリアン、スーパーセンテナリアン

100歳以上のお年寄り「百寿者」をセンテナリアンと呼び、110歳以上はスーパーセンテナリアンと呼ぶのだそうです。
百寿者、超百寿者という和の言葉で十分良いのではないかと思いますが、センテナリアン、スーパーセンテナリアンと言われてもしっかりついていきたいです。

「80過ぎたら生き仏」から「百歳過ぎたら生き仏」へ

三好春樹さんが1997年に『関係障害論』(昨年出た新装版のアマゾンのページへのリンクを貼りました。)という著作で80過ぎたら生き仏」と言われました。
私なりに敷衍しますと、「80過ぎたら生き仏」という言い回しには、高齢で認知症の症状が見られるようになり、「食事を食べてくれない」、「夜も寝付かず元気に声を出されている」など理解(人智)を超える言動が見られたとしても、無理やりこちらのコントロール下におこうとすることは、不遜で罰が当たりかねないことであるから、ありがたく受け止めるのが良いのではないかというポジティブな含意があります。明るい気持ちになります。

 

1997年から20年が過ぎましたので、現在では80歳のところを百歳と改めてもよいのではないでしょうか。「百歳過ぎたら生き仏」です。もっとも百歳を超えるかどうかという厳密なこだわりにはあまり意味がないと思いますので、「百歳近くなったら」と少しぼかしても良いだろうと思います。

センテナリアン、スーパーセンテナリアンの体の共通点

記事で書かれていることはとてもシンプルです。

センテナリアンの体の共通点

・体内の炎症が少ない。(血液検査のCRPという指標を見れば分かる)

 

スーパーセンテナリアンの体の共通点

・「ApoE遺伝子」のうち「ε(イプシロン)4」という型を持つ人が少ない。(この「ε4」という型を持つ人はアルツハイマー型認知症のリスクが高まる)

 

・動脈硬化が軽度

 

(さらに)スーパーセンテナリアンの生活習慣や性格の共通点

・喫煙はしない

・酒は飲まないかたしなむ程度

・性格は外向的

 

百歳まで生きることは幸せなのか?

さて、上記の結果は百寿者のことを知りたいという思いに応えてくれていますが、私の行動変容をもたらす決定的な影響力を持つかというとそこまでは言えません。長生きに至る抜け道や魔法はないという感想を持ちます。何歳まで生きられるかは人間の意思や努力でコントロールできることをやはり超えていて、「神のみぞ知る」という考えはゆるがないと思ってしまいます。

 

また、百歳まで生きることは幸せなのでしょうか?このことは長生きに対するモチベーションにとって大きな因子になると考えられます。幸せだと思えるならば長生きしたいと思うことでしょう。

平成から令和へのお代替わり時に大正から生きている瀬戸内寂聴さんが語ったこと

そんななかで、大正から生きていて、百歳に近い瀬戸内寂聴さんが過去の思い出を語る記事を目にしました。それは長生きの希望を伝えてくれるものと思いました。

 

記事はこちらです。

陛下は私のただ一人の… 美智子さんは寂聴さんに語った|朝日新聞デジタル2019年5月10日付(有料記事)

 

 一九二二(大正十一)年五月十五日生まれの私は、この五月十五日で満九十七歳になる。よく食べるし、よく眠るし、今でも、こんな仕事をしているのだから、まだ死にそうにもない。長生きが何より望ましい人間の幸福だったような時代は、とうの昔になくなって、今ではなかなか死ねない人生が、人間の老後の不幸を招いているように考えられている。

 それでも長生きしたおかげで、私はさまざまなこの世の習わしを見たり、経験したりしたことで、得をしたように思う。

 

 

この世の習わしを経験してきた一例として、平成から令和へのお代替わりと重ねて、幼児のときに経験された、お代替わりの御大典の記憶を語られています。これはおそらくは大正から昭和へのお代替わりの行事―昭和3年(1928年)―のこと、したがって、1922年生まれの寂聴さんにとっては6歳の頃の話と推測されます。

 

 私の生まれた徳島の町ではお盆でもないのに、町じゅうで阿波踊りをするといってはりきっていた。早くから三味線や鐘、太鼓のおさらいの音が通りのあちこちから聞こえはじめていた。(中略)

 

 御大典の当日は、町の通りという通りは、変装の人たちの行列で埋まり、その人々が踊りだすと、どの連も負けじと三味線を鳴らし、太鼓を叩(たた)くので、賑(にぎ)やかに湧き立っていた。「ごたいてん」というのがどういうことかわからないまま、こんな面白い日が一年に何度もあればいいのにと踊っていたことを思いだす。

 

寂聴さんには幼な心の感覚がありありと残っているのでしょうか。
子どもも大人も浮き立っていて、お祝いや慶びを皆で分かち合っている状況がよく伝わってきます。

寂聴さんと同じく大正から生きる祖母が語っていたこと

寂聴さんとほぼ同じ年齢(同じかプラスマイナス1程度の差)で、老人ホームで暮らしている祖母も無事に令和を迎えました。寂聴さんの言葉につられて、祖母がよく言っていたことも書き留めておきたいと思います。

 

 

・子どもの頃、周囲の大人たちが天皇陛下の話になると、大変あがめたてまつって話すので神様のような存在だった。

 

・当時天皇陛下が近くにお出ましになられたとき、曇り空がぱーっと晴れ、思わず手を合わせた。

 

 

心の清らかな娘さんの映像が思い浮かびます。寂聴さんの語りと同様、汚してはならない子どもの純粋さが感じ取れます。そして、今に続くような感覚と、今の感覚とは異なる当時の時代ならではの感覚とを伝えてくれる生きた証言と思われて、感動します。

長生きの希望

寂聴さんも祖母も、この世に生まれて、ある習わし(文化)のなかで生きて年を重ねていくという道理(?)を現在進行形の老いのただなかで見せてくれたり、教えてくれていると思います。そして、そのなかに、生きていくことの善さや素晴らしさも感じ取ることができるため、「長生きの希望」と言ってみました。

百歳まで向かうために40代から出来ること

百歳までの道のりは遠い(笑)です。
アラフォーの私は、まず40代を乗り越えなくてはならないと思います。
認知症を心配する前に、がん、心血管疾患、糖尿病などの生活習慣病が気になります。それを超えた先のステージに、認知症予防が待っているというような感覚があります。

 

しかし、マツやK(後に関連記事として示す)が取り上げている、ランセットの論文では、中年期(45歳以上、65歳以下)の高血圧、肥満、難聴(聴力低下)が将来の認知症リスク要因として挙げられています。したがって、効果に時間差があるかもしれませんが、塩分対策、メタボ対策などの生活習慣病予防(近い未来に期待される効果)が、認知症予防(遠い未来に期待される効果)につながっていると考えることができます。

 

そんな大きな時間のスケールで(と言っても難しいですが・・・笑)、40代から出来ることに取り組んでいきたいと思います。

 

 

 

認知症✖本(映画も)

 

こんにちは、認知症Cafést Online編集スタッフのUです。

 

認知症✖映画をパート3までお届けしましたが、今回は映画化されそうな原作を紹介したいと思います。

川村元気さんの『百花』

『告白』『悪人』『モテキ』『君の名は。』『怒り』など、数多くの映画を企画してきた川村元気さんが、2年半ぶりの小説百花』(文藝春秋)を5月15日に刊行しました。

 

川村さん自身の祖母がアルツハイマー型の認知症となり、祖母の元に通い、話しを聞き、さらに認知症患者やその家族、医療・介護関係者ら100人以上を訪ねて書いた作品だという。

『ばあばは、だいじょうぶ』

さらに5月10日に公開された映画『ばあばは、だいじょうぶ』。
「ミラノ国際映画祭」で最年少主演男優賞(寺田心)、最優秀監督賞(ジャッキー・ウー)をW受賞した作品です。こちらも気になっています。

Uに一言をお願いしました。(by スタッフS)

「何かもう一言ないですか?」とSが聞きましたら、「寺田心くんはかわいいなあ」ということでした。

 

☆☆イベント情報☆☆ てんのうだいおれんじカフェ(5/22、我孫子)

 

 

こんにちは、認知症Cafést Online編集スタッフのマツです。
青葉の候、お出かけにはちょうどいい季節になりましたね。

今回は、地域での認知症関連のイベント情報をご案内します。

 

千葉県我孫子で開催される『てんのうだいおれんじカフェ』のご案内です。「みんなで地域を支え合える住みよいまち作り」がこのオレンジカフェのコンセプトです。毎月第4水曜日に開催しています。

 

 

 

てんのうだい おれんじカフェ

 

開催日
令和元年5月22日(水) 17時~20時
場所
セントケア我孫子デイサービス(千葉県我孫子市天王台4-5-1 シャトー天王台1F)
内容
「和紙を使って・・ハーバリューム作り」~ご自分のセンスで素敵な作品を~
講師
福井美奈子氏
料金
実費(材料費500円、軽食代500円)
持ち物
上履き
問い合わせ先
田中(090-3427-7466)
セントケア我孫子デイサービス(04-7181-7580)

 

どなたでもお気軽にお立ち寄りください!
お好きな時間に、お一人でも、グループでもお気軽にご参加ください。
※18時半~食事会

 

 

 

 

 

☆☆イベント情報☆☆ やさか町オレンジカフェ

 

こんにちは、認知症Cafést Online編集スタッフのSです。

地域での認知症関連のイベント情報

今回は『やさか町オレンジカフェ』のご案内です。
このカフェは認知症の人や介護をするご家族の居場所となるとともに、医療・介護の専門職と、お茶を飲みながらお悩み事などのご相談に応じます。

 

 

 

やさか町オレンジカフェ

 

開催日
5月17日(金) 13時30分~15時30分
場所
セントケア八坂東 小規模多機能
静岡県静岡市清水区八坂東二丁目7-1
料金
無料(飲み物付き)
『お薬出前講座』と懇談が今回のカフェの内容です。
どなたでもお気軽にお立ち寄りください!

問い合わせ先

セントケア八坂東(TEL: 054-371-5960)

 

 

予防できる認知症、9つの要因について

 

本日は認知症Cafest Online編集スタッフのKが、Editor‘s Tweetをお届けします!

 

先日、マツによるCafestの記事でも取り上げていましたが、国際的な専門家メンバーによって構成された、認知症予防、介入およびケアに関するランセット委員会(Lancet Commissions on Dementia Prevention, Intervention and Care:以下ランセット委員会)の報告書によると、認知症のリスク要因を下記のように示しています。

9つのリスク要因

時期 要素 原因比率(%)
予防不可 予防可能
生まれつき 遺伝 7%
若年期(12~14歳) 中等教育未終了 8%
中年期(45~65歳) 聴力低下 9%
高血圧 2%
肥満 1%
高齢期(65歳以上) 喫煙 5%
うつ 4%
活動量低下 3%
社会的孤立 2%
糖尿病 1%
その他 58%
合計 65% 35%

 

この報告によると、予防不可能な遺伝による認知症発症は全体のわずか7%となっており、認知症予防に関する可能性について、上記の9つのリスク要因を挙げ、すべての認知症症例のうち約35%が、中高年における高血圧や肥満、難聴の適切なケア、若年期の教育機会向上、65歳以上の運動や社会的参加など年齢層に応じた適切な対処により認知症発症の遅延、予防の可能性に繋がることがあると報告しています。

 

今後のEditor‘s Tweetで9つのリスク要因についてご紹介していきます。

 

 

 

認知症予防は若いころから

 

こんにちは、Cafést編集スタッフのマツです。

中高年以下の世代は認知症予防という視点に興味が薄い?

少し前の話になりますが、3月1日にCafést開設1周年を記念したオフ会を開催しました。
そこで参加者から出た意見の中に中高年以下の世代はどうしても認知症予防という視点に興味が薄いというものがあって、それがずっと心の底に引っかかっています。

 

「家族が認知症であればいざ知らず、自身の認知症という面ではどうしても自分事としてはとらえづらい」という意見は、きっとその通りなのでしょう。何しろ、私自身がそうでしたから……。
しかし、いくつか気になる記事を見つけたのでシェアします。この記事を読んでも、あなたは認知症予防を他人事として感じるでしょうか?

 

たばこ×お酒で一気に加速
10年で12歳分の脳老化

大量飲酒に喫煙が重なると認知機能の低下が大幅に加速するようだ。英国の公務員を対象にしたホワイトホール2(WH2)研究の報告から。 追跡対象は年齢45~69歳(中略)。たばこやアルコールの消費量について質問し、追跡期間中の10年間に認知機能テストを3回行った。その結果、たばこを吸い、かつ大酒を飲む人は、非喫煙者で適度にお酒をたしなむ人より、36%も認知機能の低下速度が速かった。研究者によれば「同じ10年の間に、2歳余計に年をとったのと同様の影響が生じる計算になる」。20歳でたばこと酒を覚えたと仮定して、飲み方次第では実年齢60歳にして70代の認知機能の維持も怪しいことになる。このほか同じ喫煙者でも、飲酒量に比例して認知機能の低下が加速することも明らかになった。

DIAMOND online

 

嫉妬はわが身に仇をなす
アルツハイマー発症リスクが上昇

スウェーデン・イェーテボリ大学の中高年女性を対象とした研究で、嫉妬深い女性はアルツハイマー型認知症(AD)発症リスクが高い、という結果が報告されている。
同研究は1968年にスタート。スウェーデン在住の800人の女性(研究開始当時の年齢は38~54歳:平均年齢46歳)を対象に、38年間にわたり追跡調査を行ってきたもの。(中略)
38年間の追跡期間中、153人の女性が認知症を発症し、このうち104人がADを発症した。また、ストレス反応の有無や性格検査に基づくデータとクロスしてみると、「罪悪感を持ち、怒りや不安、嫉妬、不機嫌」などに陥りやすい「神経症的傾向」で内向的な女性は、最もAD発症リスクが高いことが示された。該当女性の4分の1がADを発症していたのである。
一方、外交的で神経症的傾向がない女性の発症率は13%にとどまった。また、単純に外交的、あるいは内向的であるだけではADの発症率に差は生じないことが示されている。

DIAMOND online

 

予防できる認知症、9つの要因=英論文

認知症の3件に1件は、生活習慣など生涯を通じて脳の健康のために意識的に行動することで予防できる――。英医学誌ランセットにこのほど掲載された研究が指摘した。 (中略) 研究では、人生の過程で頭を使うことによって蓄えられる「認知的予備力」が、脳が損傷した時にも、いかに機能を維持するのに貢献するかを調べた。 中等教育を修了しないのは大きなリスクで、論文の著者たちは、大人になっても学び続ければ脳の「予備力」を増やせる可能性が高いと述べている。 また、中年期に聴力が低下すると、周囲から通常受け取るたくさんの情報が得られなくなり、社会的にも孤立し、うつになる可能性が高まる。これも認知症のリスク要因としては予防が可能だという。 研究のもう一つの大きな指摘は、心臓に良いことは脳にも良いという点だ。 禁煙や運動、健康的な体重の維持、高血圧や糖尿病の治療は全て、心血管系の病気やがんだけでなく、認知症のリスク低下にもつながる。

BBC News

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。
認知症の予防には、やはり若くて健康な頃からの意識と行動が大事なようです。

 

さて、ここでクイズです。私はこの記事を書きながら、いったい何本のタバコを吸ったでしょう(汗)。

 

94歳の母を介護するフジテレビ・須田アナウンサーの記事を読んで(2)

 

こんにちは、Cafést編集スタッフのSです。

前回はマツの視点で、今回は私(S)の視点で

前回、マツの視点で、94歳の母を介護する須田アナウンサーの記事に関する感想を書いてもらいました。

94歳の母を介護するフジテレビ・須田アナウンサーの記事を読んで(1)

 

須田アナウンサーの記事はこちらです。

「いまがいいとは思わない」94歳の母を介護するフジテレビ・須田アナウンサー 施設か自宅か葛藤の日々 | 出典 FNN PRIME

 

今回は、私(S)の視点で書いてみたいと思います。

介護施設利用の契機としての転倒と骨折―須田アナウンサーのお母様の場合―

須田さんのお母様が介護施設を利用する契機となったのは家での転倒とそれによる骨折と思います。

いまから7年ほど前、ガスコンロをつけっぱなしにするなど軽い認知症の症状が母親に出始めた。その後、父親の心臓の持病が悪化し入退院を繰り返すようになるなかで、今度は母親が自宅で転倒し脚の付け根を骨折、自力で歩くことが難しくなっていった。

 

母親はその後、夜中に自力でトイレにいこうとして、転倒。大きな音におどろき、2階で暮らしていた弟夫婦は飛び起きて助けに行った。そのようなことが何度かあるなかで、弟夫婦と娘は心配で安眠できなくなっていった。

 

そのようななかで在宅介護の限界を感じて、施設に預けることが決まったと書かれています。

介護施設利用の契機としての転倒と骨折―Sの祖母の場合―

今、私の母方の祖母は有料老人ホームを利用しています。
私の両親と家で暮らしておりましたが、ある日、家で転倒しました。そのときは祖母は自力で立ち上がり、母のところまで来て、「転んで立ち上がれずにいたけど、あなたに伝えたくてやっとの思いで来た」と言ったそうです。

 

金曜日の夕方でしたので、母は月曜日に病院に連れていくようだなと思いながら、様子を見ていたのですが、日曜日になったら祖母が全く身動きがとれなくなってしまったため、救急車を呼びました。
医者からは腰椎圧迫骨折と言われそのまま入院となりました。

 

その病院で3週間入院し、次の病院に転院となりましたが、転院先でも3週間で退院と言われていたので、母は老人ホーム探しを始め、今のホームにお願いすることになりました。

 

母からは自分ができるうちは在宅介護でと聞かされていましたので、ここは考えが変わったときでした。そして、ここでの切り替えは早く、息子の私から見て潔いと感じられました。

高齢者が骨折で入院した後の在宅生活を家族で支えられるか?

私の祖母の場合もそうですけれど、骨折で入院した後は、ADL(日常生活動作)のレベルが瞬間的に落ち込んだりして、支援の方法が入院前とは急に変わるわけです。
これを家族で対応するのは難しいだろうと思いますね。

 

私はかつて介護職として老人ホームで勤務しておりました。
身内でない高齢者が入院前後で状況が変わってホームに戻って来ても、同僚もいて、対応の仕方について相談できますし、客観的に見ることができたと思います。また、技術面での対応力や応用力は介護の仕事をしてきた者として応分に備わっていたと思います。そして、ここは身内ではないからこそですが、過去のその人の状態や情報にあまり左右されることなく、目の前の状態に合わせて対応をしていくことができたと思います。

 

しかし、仕事ではなくプライベートで、相談できる人もいないなかで、状況が変わった家族を介護するのはとてもできる気がしません。

高齢者が骨折で入院した後の在宅復帰が可能な条件とは?

東京都福祉保健局のホームページで高齢者が骨折したときの対応のナビがありますが、
(こちらです→知って安心 暮らしの中の医療情報ナビ

 

退院後は、家族で相談して、おばあさんが動きやすいように家を改修し、退院後は介護サービスなどを上手に利用しながら、みんなで頑張ろう…など書かれています。

 

在宅介護を継続するにも改修するかしないか、在宅サービスを利用するかしないかなど決断を下さなければならないわけです。
これらの決断を重ね、家族も生活のパタンをこのように変化させたならば、このように高齢者の在宅生活を支えられるという事例を実際に目にしたり、耳にする状況がそれなりの頻度でまわりに起こることがなければ、同様の事態が自分に起こったときに「できる」とは思えないのではないかと思います。

須田さんは悩んでいる?母は受け入れている?

須田さんは「これがベストだとは思っていない」と悩んでいると書かれています。

 

母はどうでしょう。
須田さんと同じで、「これがベストだとは思っていない」ようですが、須田さんの記事で感じるほどの深刻さはないと感じます。

 

母は今、熱心に祖母のもとへ通っています。
はじめのうちは、毎日ホームに通っていましたが、「数日に度でも大丈夫」と思うようになり、現在は数日に度の訪問と変化をとげています。

 

祖母が喜んでくれることもあると思いますし、祖母のADLのレベルが改善されていることもあると思います。
亡くなった祖父が残してくれたお金で祖母のホームの費用がまかなえるということもあるだろうと思いますが、祖母のもとへ通うことは母の張り合いや生きがいとなっているように見えます。

介護職としてはどうこの記事を読むか?

ホームをたずねたとき、須田さんの目に飛び込んでくるのは、なにをするでもなく、だれと話すでもなく、ただ、リビングの大きなテーブルにひとり突っ伏す母親の姿なのだ。

 

この状況に対して須田さんがどう思われたかは厳密には記されていないですが、「残念な状況」として記事では描かれているように思います。

 

ホームで働く介護職の立場ならば、ホームに訪問する家族に、ホームを利用する高齢者のこのような姿を見せたくないと素朴には思います。

 

ただし、いつまでも高齢者本人が自立的にアクティブであるということはないかもしれません。そこはご家族にも丁寧に伝えてご理解していただく必要があるかもしれません。
そのうえで、ナイーブな言い方にはなりますが、ホームに温かい空気や時間が流れ、そのような雰囲気が高齢者を包んでいるならば、家族の感じ方も変わるのではないかと思ったりします。
いずれにせよ、加齢を重ねて、以前とは様子が変わっていく高齢者を見つめる家族の感じ方に鈍感であってはならないと思っています。

 

 

94歳の母を介護するフジテレビ・須田アナウンサーの記事を読んで(1)

 

こんにちは、Cafést編集スタッフのSです。

介護している家族の声

ツイートでどんなことを取り上げるかは日々試行錯誤でありますが、個人的には介護をしている家族の声についての記事も取り上げていきたいと思っています。

 

今回は編集スタッフ マツにも協力してもらい、一つの記事を2人の視点で書いてみたいと思います。
今回はマツがマツの視点で書いています。次回はSの視点で書いてみます。

須田アナウンサーへのインタビュー記事

取り上げる記事は、

「いまがいいとは思わない」94歳の母を介護するフジテレビ・須田アナウンサー 施設か自宅か葛藤の日々 | 出典 FNN PRIME

 

フジテレビでの後輩森下和哉アナウンサーが、先輩須田哲夫アナウンサーをインタビューして、フジテレビをキー局とするニュースネットワーク(FNN)で記事にしているという内輪の記事です。報道のあり方などの論点も含み、親の介護に関する論点が散漫になっている印象もあります。たまたま目にした記事でありますが、親の介護をしている家族の声であること及び須田アナウンサーが有名な方であることから、彼の介護についての思いや考えを取り上げてみることにしました。と、Sからの前置きが長くなっていますが、

 

ここからは、「by マツ」となります。

認知症介護の問題を内包した記事

この記事では、お母さまを介護する元フジテレビの須田アナウンサーの苦悩や葛藤が描かれています。

 

私は最初にこの記事を読んだとき、正直「論点がわからない、何を課題だと主張しているのかがわかりづらい」と感じてしまいました。しかし何度か読むうちに、そのもやもやした感じこそが、今の認知症患者を介護しているご家族の方たちの感覚そのものなのではないか、という思いに至りました。

私ももやもやしていた

私の父も認知症で、私も介護とその後の病院通いを経験しています。また母も認知症ではないものの、一時的に脳に軽いダメージがあり、須田さんのお母様と同じような介護老人保健施設に入所していました(現在は小規模多機能と契約し、独居で生活中)。
父や母の見舞いに病院や施設を訪れるたびに私が感じていたのも、須田さんと同じような「このままでいいのか、本当にこれでいいのか」という思いでした。

病院や施設のスタッフの皆さんの対応や方針に不満があるわけでもありません。客観的に観察しても「大変だろうな」という業務の中でも、父や母、そして見舞いに訪れる私(全盲)にさえにこやかに、ていねいに接してくれます。父については後述しますが、母自身もスタッフの対応に特に不満をいうわけではありません。むしろ母は毎日リハビリや歌を歌ったりして、楽しかったということを口にします。
それでも正直私は、前日のようなもやもやした気分を拭い去ることができませんでした。

 

父と私

父と私には確執があり、私は実家を離れていたことをいいことに、なるべく実家に近づかないようにしていました。父の酒癖の悪さと母に対する身勝手で粗暴な対応に、私がほとほと嫌気がさしていたからです。近年は私が実家に同居していましたが、食事も別にしていました。

 

正直、私は父の面倒をみたいとは思っていません。幸せになってほしいとか、そういう思いもありません。冷たい息子だと言われれば、きっとその通りなのでしょう。
それでも、入院費を支払ったり必要なものを届けるため、月に1度病院を訪れて父の様子を見るたびに、「本当にこれでよかったのか、もっと別の選択があったのではないか」と感じてしまうのです。さりとて、具体的な回答を見つけ出すことはできません。強いてあげれば「自宅ではないところに暮らさせている」というそういう漠然としたものです。

 

まとめ

おそらく、ご家族を介護している方の多くが、このようなもやもやした感じを抱いているのではないでしょうか。そして。とらえようのない罪悪感のようなものを感じているのではないかと思うのです。
須田さんの記事を読み返していくうちに、「もやもやしているのは自分だけではないんだな」ということに気づき、ほんの少しですが、気が楽になったような気がしました。