高齢の趣味仲間の支え合い(互助)事例及びそれを受けての小論ー地域包括ケアシステムの構築に向けてー

初出:2020年8月31日|最終更新:2020年9月3日

 

 

高齢者同士の支え合いの模範事例と感じられた記事を紹介したい。

 

その記事は、読売新聞202046日(月)8面(webへのリンクはなし)に掲載された、新潟県の無職85歳からの投書である。
「異変に気付き救った命」と見出しがついている。

互助の事例ーご近所の高齢者同士(趣味仲間)の支え合いー

この投書の書き出し近所の高齢者同士で健康マージャンを楽しんでいるに、まず引きつけられた。
自分の身近で、高齢になり、人付きあいを避けて、出不精気味になってしまった人を見てきたからだ。

 

そして、今年2月に、ゲーム中に仲間の90歳の男性の様子がおかしいことに気がついたという。

 

指先が小刻みに震えているので、ゲームを中止し、男性が入居しているホームに車で送った。ホームの看護師の指示で、かかりつけの医者に連れて行くと、救急車で地域の基幹病院に搬送された。脳梗塞と診断され入院したが、10日間で無事に退院できた。

 

85歳の健康マージャンの仲間による気づきと行動が、介護予防ないし救命になったということで、心に残った。

自助・互助・共助・公助

地域包括ケアシステムに関する議論で、「自助・互助・共助・公助」という言い方がされる。

 

  • 自助…自分のことは自分でする(例 → 介護予防行動、セルフケア、市場サービスの購入など)
  • 互助…住民同士の自発的な支え合い、ボランティア活動
  • 共助…保険料(介護保険制度、社会保険制度)に基づくサービス
  • 公助…税金に基づく(行政機関による)公的サービス

 

この中で互助が一番分かりにくいと感じるけれども、
今回紹介した、ご近所の高齢者同士(趣味仲間)の支え合いの事例は互助の事例と言えるだろう。

 

緊急事態宣言を出す方針が表明された日

この投書が掲載された4月6日は緊急事態宣言を出す方針が表明された日だ。翌7日には緊急事態宣言が出された。この時期、東京や大阪など都市部で新型コロナウィルス感染者の急増が見られていた。

サッカーのカズ選手のメッセージー高齢者同士の互助と重なりあうー

この互助の事例とともに、日本経済新聞(web)に4月10日付けで掲載された、サッカーの三浦和良選手(カズ選手)のコラム記事「日本の力を見せるとき」でのメッセージが心に残った。高齢者同士の互助の事例と重なりあって、自分には伝わった。

「え、行くの?」。ある同僚は奥さんにとがめられつつ練習へ出ていた。4月初旬、1カ月先にリーグが再開する予定の一方で、感染への危機感が増していた時期のことだ。一部屋に40人近くが集まるミーティングのさなか、僕も声を上げた。「緊急事態宣言も出そうなときに、こうして集まって、練習していていいの?」。選手の大半が同じ思いだったという。自らをリスクにさらしてでも、命や社会機能を守るべく奮闘する方々がいる。休みたくても、休めない人がいる。でも選手は、そうじゃない。

 

他に強制されるわけではなく、自発的にお互いを注意しあうのは、地域包括ケアシステムの議論でいえば「互助」ということになるだろう。

 

そして、世界の舞台で戦ってきて、「日本人」の特性を感じてきたカズ選手の言葉にはリアリティがあり、重みが感じられる。

すべての行動が制限されるわけでない緊急事態宣言は「緩い」という声がある。でもそれは、日本人の力を信じているからだと僕は信じたい。きつく強制しなくても、一人ひとりのモラルで動いてくれると信頼されたのだと受け止めたい。

戦争や災害で苦しいとき、隣の人へ手を差し伸べ助け合ってきた。暴動ではなく協調があった。日本にはそんな例がたくさんある。世界でも有数の生真面目さ、規律の高さ。それをサッカーの代表でも日常のピッチでもみてきた。

 

規律を重んじることがコロナ感染による死者数の抑制につながった?ー歴史人口学者の議論からー

カズ選手は生真面目さ、規律の高さを日本人の特性と指摘した。
その日本人の特性ー規律を重んじることーが、コロナ感染による死者数の抑制につながったという議論がある。

 

フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド氏は、
コロナ禍「重度」の国は個人主義、「軽度」は規律重視…歴史人口学者 ー という読売新聞の記事(注:web版は2020.06.07付け、紙面では2020年5月31日8面。紙面でのタイトルは「権威・規律が生んだ違い」)で、
コロナ禍が重い国、軽い国の違いについて次のように語っている。

軽重の違いは文化人類学的に説明できます。重度の国には個人主義とリベラルの文化的伝統がある。軽度の国は権威主義か規律重視の伝統です。中国もそうです。概して権威主義・規律重視の伝統の国が疾病の制御に成功しています。

 

なお、その記事の中で、トッド氏は6月1日時点のデータに基づき、コロナ禍が重い国として、ベルギー、スペイン、英国、イタリアを挙げ、軽い国として、韓国、日本、シンガポールを挙げている。

 

注:手元にある紙面版を撮影しました。写っているのがエマニュエル・トッド氏です。

少子高齢化が真の問題

コロナ禍の軽重に関する文化人類学的な説明は興味深いが、この歴史人口学者の次の指摘に、我々はさらに耳を傾けるべきだろう。

コロナ禍の特徴は高齢者の犠牲の多さです。フランスの場合、死者の8割は75歳以上。エイズの犠牲の多くが20歳前後だったのと対照的です。

冷酷のそしりを恐れずに歴史人口学者として指摘します。概してコロナ禍は高齢者の死期を早めたと言えます。ところで、重度の英米仏は適度な出生率を維持しています。一方で、軽度の日独韓中の出生率の低さは深刻です。長期的視野に立てば、コロナ禍ではなく、少子高齢化・人口減少こそが真に重大な国家的課題です。

 

コメント

トッド氏の議論から

歴史人口学者のトッド氏の議論に触れると、物事は多角的に見なくてはならないと思う。

コロナ禍 出生率
英米仏 重度 適度に維持
日独韓中 軽度 低くて深刻

 

この表についてはコロナ禍対応が目の前の(短期的な)課題で、出生率の維持が長期的な課題と時間軸の概念も付け加えることができよう。

介護事業会社として

①地域包括ケアシステムの構築

介護業界に身を置く私たちの事業活動は、国が目指す地域包括ケアシステムの構築の一端を担うものだ。
介護事業会社はその責任を負っていると言える。
したがって、「自助・互助・共助・公助」の概念を理解し、冒頭に例示した、高齢者同士がお互いの尊厳や自立生活のために自主的に支え合う「互助」が機能する環境づくりも担っていると考えるべきであろう。

 

②コロナ禍への対応

コロナ禍への対応については、
以前の記事「介護施設でのコロナ感染による死亡率の国際比較ーイギリス、ドイツ、日本の比較」において、公式の統計としての報告がないものの、利用できる限られたデータで試算をしてみると、日本の介護施設でのコロナ感染による死亡率が世界的に見て抑制されている可能性を指摘した。
日本の介護施設(介護の現場)は、コロナ禍を乗り越えて、介護施設(介護の現場)に合った、新しい生活様式を作りだし、それに適応していくことが出来るのではないか。

この時代を生きる者として

長期的な少子高齢化、人口減少に対してはどうか?
長期的に介護の働き手が減っていくことへの対策の1つとして、介護事業会社の弊社でもロボット活用、ICT活用が進められてはいる。

 

しかし、出生率を適度に維持していくことを目指すというのは、介護事業会社であるか否かを越えて、社会全体で取り組むべきこととなるだろう。
この人口減少時代の日本社会を生きる者として政策の動向等に関心を持ち、事業者の立場や個人の立場で出来ることに取り組んでいきたいと思う。

 

(文:星野 周也)

 

 

 

世界アルツハイマーデーに向けて

 

本日は認知症Cafést Online編集スタッフのKが、Editor‘s Tweetをお届けします!

世界アルツハイマーデーとは?

1994年に国際アルツハイマー病協会(ADI)と世界保健機関(WHO)が共同で、
毎年9月21日を「世界アルツハイマーデー」、9月を「世界アルツハイマー月間」と定めています。日本国内でも様々な自治体や企業等が認知症への理解を呼びかけています。

アルツハイマーデーの由来は?

1994年9月21日に第10回国際アルツハイマー病協会国際会議がスコットランドのエジンバラで開催され、同会議初日の日を「世界アルツハイマーデー」と宣言し、アルツハイマー病等に関する認識の向上、世界の患者と家族に援助と希望をもたらす事を目的としたことが由来となっています。

日本国内の取り組みは?

日本国内でもアルツハイマーデーに向けて様々な取り組みが進めてられています。
各地のランドマークが認知症のイメージカラーである「オレンジ色」にライトアップされます。また、各地でもイベントが開催される予定となっています。お近くで開催されるイベントがあれば、ぜひ足を運ばれてはいかがでしょうか?

 

 

注:公益社団法人「認知症の人と家族の会」作成の世界アルツハイマーデーのポスターです。ポスターのイラストは、青山ゆずこ氏(漫画家、介護ジャーナリスト、「家族の会」会員)によるもの。ポスターの画像は認知症の人と家族の会のサイトより入手しました。

 

 

 

夏休みの思い出に

 

こんにちは。認知症Cafést編集スタッフのマツです。
以前の記事で認知症を持つ方、高齢者、障碍者といった多様な方が社会の中で普通に暮らすことの大切さについて書かせていただきました。
今日はこのことについて、もう少し掘り下げて考えてみましょう。

既にネット上で起こっている「同質化の恐怖」

これは有名な話ですが、SNSには自分と同じ意見や考え方を持った人たちが集まりやすいという効果があります(エコーチェンバー現象)。

ある事柄について、本来なら世の中の人の意見や考え方にはある程度のばらつきがあって当然です。例えば認知症や介護について考えるとき、「ともに生きていく」とか「お手伝いしたい」と考える人もいれば、「かかわりたくない」とか「面倒な存在」だと考える人もいるでしょう。こうした二元論的な考え方ばかりではなく、「他人が認知症になったら手助けするが、自分がなるのは嫌だ」とか「家族はいいが、自分は嫌だ」、「自分がなるのはいいが、周囲の人がなって自分がかかわるのは嫌だ」とか、複雑な考え方があるかと思います。

 

しかし、ネットやSNSでは自分と同じ考え方や意見を持った人が集まりやすいため、「自分の意見は世の中に認められた正しい意見だ」とか「世の中の人の意見も自分と同じだ」というように考えがちになります。すると、たまに自分と違う意見を見かけても「それは世の中の多くの人の意見とは違う間違ったものだ」ということになってしまい、切り捨てたり反対してしまいやすくなってしまいます。

 

これは個人的な自戒の念を込めているのですが、コロナ禍の昨今、ネット上には本当にいろいろな意見があります。そのこと自体は良いことですし、個々の意見の内容自体には言及しません。しかし、自分と違う意見を持つ人に対する誹謗中傷、ののしり、罵倒などのネガティブな感情のなんと多いことでしょう。今ネットを見ていると、それぞれの意見の内容というより、こうしたネガティブな感情に目が留まってしまい、気持ちが沈んでしまいます。

ネットから現実社会へ

このようなネガティブな感情を伴う同質化の広がりは、もちろんネット上だけにとどまりません。それが最も顕著に表れたのが、相模原の障碍者大量殺傷事件や京都のALS患者の嘱託殺人事件でしょう。

あくまで私見ですが、前者の事件ではこうしたネガティブな感情が加害者の犯行動機になっていると感じますし、後者でも、人の手助けなしでは生きられない人生を送りたくないというALS患者の思いは、自身が社会とは異質な存在になってしまうことに対する拒否反応だったのかもしれません。

打開策はいろいろな人と接すること

これもあくまで私見ですが、このように意見や考え方の同質化によって凝り固まってしまうことを防ぐには、なるべく多くの“自分とは異なる人”とコミュニケーションをとるしかないと考えています。
SNSなどのネット上でもいいでしょうが、やはり実際に会ったり話をしたり同じ時間や空間を共有することが1番です。

 

そこでご紹介したいのが、今回東京の竹橋にオープンした体験型ミュージアムダイアログ・ミュージアム「 対話の森®」です。
ここでは以前の記事でご紹介した、視覚障碍者に導かれて暗闇を体験するダイアログ・イン・ザ・ダークをはじめ、聴覚障碍者とともに言葉以外のコミュニケーションを楽しむダイアログ・イン・サイレンス、そして高齢者とともに年齢や世代を超えて生き方について対話をするダイアログ・ウィズ・タイムを体験することができます。
高齢者や障碍者といった“自分とはことなる人”との対話は、かならず自分の凝り固まった思考をほぐし、新しい意見や考え方を得るきっかけを見つけることができます。

まとめ

私たちは認知症や老いるということに対して、どうしてもネガティブな印象を持っている方が大半だと思います。常に助けてあげなければならない存在、こちらの言うことを聞いてくれない、思い通りにならない、理解できない……。
切り捨ててしまうことは簡単ですが、そのような行動や現象には必ず理由があり、ご本人の思いや感情やご希望がある……。

 

今回ご紹介したような体験を通して、きっとその一端を感じられるはずです。夏休みの終わりに素晴らしい体験をどうぞ。

 

 

 

 

 

『24時間テレビ』誕生の舞台裏からー「障害は特別なこと」VS「福祉ネイティブ」ー

 

明日からの2日間、22日(土)、23日(日)に、
日本テレビで『24時間テレビ』が放映されます。
1978年に第1回が開催され、今年は43回目ということです。

『24時間テレビ』生みの親のインタビュー記事

昨年、文春オンラインに『24時間テレビ』生みの親の都築忠彦氏(1935年生まれ、1961年日本テレビ入社)へのインタビュー記事が掲載されました。
今回、ご紹介したいと思います。
全3回ですが、いずれも2019年11月24日付の記事です。

 

「タモリさんも僕も偉そうなのが嫌いだった」『24時間テレビ』生みの親が語る、番組が始まった頃 『24時間テレビ』生みの親・都築忠彦氏インタビュー #1

感動ポルノについて「ええ、知ってます」――『24時間テレビ』生みの親にネットでの批判について聞いてみた 『24時間テレビ』生みの親・都築忠彦氏インタビュー #2

「“出口”が見つからないがために、形にならない善意がある」『24時間テレビ』生みの親が語る、番組の原点 『24時間テレビ』生みの親・都築忠彦氏インタビュー #3

 

全3回を通じて、話題が多彩で、読み応えありましたが、
その中で当サイト(認知症カフェスト)で取り上げたいと思ったところが2箇所あります。

第1回のテーマは「寝たきり老人にお風呂を!…だった」

1点目は、1978年(昭和53年)の第1回のテーマが、「寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を!」であったという点です。

 

高齢者介護の仕事をしてきた者として、大変興味深いです。
高齢者介護を取り巻く社会背景には関心がありますので、第1回『24時間テレビ』のテーマ設定は、知っておいてよいことと感じました。

『24時間テレビ』の生みの親の都築さんの言葉から

『24時間テレビ』の生みの親の都築氏はこう言っています。

当時は、老人や身体障害者が家の中に押し込められているのが当たり前だったから、“寝たきり老人”という言葉すら知らない人も多かったんですよ。社会問題化していなかった。そこで、集まった寄付で入浴車やリフト付きバス、車椅子を購入する番組をやって、こうした支援の必要性を訴えていこう、と。

何しろ前例がないものですから、「そんなもの、成功するのか」という声もあったんだけれども、蓋を開けてみると11億9000万円を超える寄付が集まった。第1回ではチャリティー・ウォークという企画があったんですが、4万人もの人が渋谷の公園通りに集まったんですよ。

 

 

さらに、『24時間テレビ』の初期に、民間がやることなのかという批判があったそうで、それに対しては

だけど、僕からすると「民間がやって何が悪いんだ」ということなんですよ。視聴者が、自らの意志で動き、課題を解決する。非常に直接民主主義的だと思うわけです。

 

と言われています。

 

民間がやることなのかという批判があったそうなのですが、
老人のために寄付を集めて、入浴車を購入して支援するというようなこと、つまり、福祉的なことは、民間ではなく、お役所がすべきことという見方があったのでしょうか?(注:本記事ではこの点に関する、これ以上の掘り下げは出来ておりません。今後の検討課題と致します。)

『24時間テレビ』の年表(←リンクあり)を見てみると

なお、『24時間テレビ』の年表(←リンクあり)から、第1回(1978年)以降で、寝たきり老人やお年寄りという言葉が含まれているテーマを拾うと、以下の通りです。

第2回(1979年/昭和54年)のテーマ
寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!
第9回(1986年/昭和61年)のテーマ
寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を!
そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために!
第11回(1988年/昭和63年)のテーマ
君は地球のボランティア
お年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を!
第14回(1991年/平成3年)のテーマ
雲仙・普賢岳災害救援!寝たきりのお年寄りにお風呂カーを!
障害者に社会参加を!アジア・アフリカに海外援助を

 

「寝たきり老人にお風呂を!」(それに類することを含めて)は1970年代後半から、1990年代前半まで取り上げられたテーマであったことが分かります。

1980年代は訪問入浴の事業の萌芽の時期

この時期、1980年代は実は訪問入浴の事業の萌芽の時期です。
福祉の街(1980年創業)、福祉の里(1983年創業)、セントケア(1983年創業)はこの時期に、訪問入浴の事業からスタートしています。
介護大手の1つ、ツクイ(1969年に土木建設会社として創業)もこの時期(1983年)に訪問入浴サービスで介護事業に参入しています。

 

いずれも民間の会社で、自治体や社会福祉協議会から委託を受けて、訪問入浴のサービスを行っていました。

 

1980年代と言えば昭和の終わり。
平成に入って、1989年(平成元年)にゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10か年計画)が策定され、以降、介護サービスの提供体制の整備が進んでいきます。2000年に創設された介護保険制度では、民間事業者によるサービス提供が推進されました(注:具体的には、在宅サービスにおいて、サービス提供主体に関する規制が撤廃されました)
こういう日本の高齢者介護の歴史の流れを意識してみますと、今回ご紹介した1980年代のテレビ番組の企画(「寝たきり老人にお風呂を!」)や、民間の訪問入浴事業の胎動が、(まだ漠とした構図なのですが)時代の潮流と連動していると感じます。

『24時間テレビ』への「感動ポルノ」批判に対する議論

続いて、当サイト(認知症カフェスト)で取り上げたいと思ったところの2点目は、『24時間テレビ』への「感動ポルノ」批判(番組が、健常者を感動させたり、やる気を出させるために障害者を利用しているという批判)に対する議論です。

都築さんの見解

都築さんはこの批判に対してこう答えられています。

銭儲けのために、障害者を見世物にして、視聴者が見そうな話や、シーンをわざと選んでいる、という話でしょう?でも、「これ儲かるんとちゃうか」といって企画を考えるプロデューサーなんていませんよ。伝える意義があると思うのが出発点ですよ。

そもそも、マイノリティが努力して障害を克服する姿を、子どもたちが見て感動することを僕は“感動スイッチ”と呼んでいます。感動スイッチによって、世の中が動き、差別撤廃のきっかけになることもあります。

 

インタビューをしている「ダブル手帳」さんの見解

「医療モデル」と「社会モデル」

このインタビュー記事で特徴的だと思う点は、都築さんへインタビューしている方の属性です。
「ダブル手帳」というペンネームの障害当事者が、このインタビューを行っています。身体障害1級(脳性麻痺)、精神障害3級(発達障害)であることから、そのペンネームに反映させているのであろうと思います。

 

障害当事者が障害者のテレビでの描かれ方について質問をしているため、迫力を感じます。そして、質問者という立場ではあるのですが、ダブル手帳さんが時折示される見解が鋭いと感じられました。

 

特に、「感動ポルノ批判」の背景にある障害(者)を捉える見方・思想の変化についての解説はうならされました。

現在は障害は個人が持つ属性であり、それを乗り越えるのは個人の責務とする「医療モデル」から、社会が障害者にとっての障害(障壁)を作っており、その障害を取り除く責務は社会の側にあるという「社会モデル」 が主流になってきています。

24時間テレビ』を批判する人たちは、頑張っている障害者たちは素晴らしいとしても、そういう障害者の姿ばかりを放送することによって、障害は個人の努力で克服していくべきものという「医療モデル」的な見方を強化してしまうのではないか、と懸念しているのでは?

 

特別な理由がつけられて障害者が取り上げられるようでは、障害者の存在が可視化されているとは言えない

そのうえで、障害当事者として、以下の見解を述べられており、説得力があると思いました。

私は障害者当事者ですが、福祉番組であるとか、特別な理由がつけられてようやく障害者が取り上げられるようでは、まだまだ障害者の存在が可視化されていると言えないと思っています。

たとえば、私は特別な理由なく、身体障害者がテレビ局の“顔”であるアナウンサーを務めるような世の中になってほしい、と願っているんです。

 

障害当事者としての経験は当然借り物ではありません。
当事者の声は貴重ですが、「正解」の押しつけのように提示されると読む側は窮屈になってしまいます。しかし、決してそういうことはありませんでした。また、インタビュー相手の都築さんの意見を尊重していたり、理解を示したりと対話のマナーを守っているとも感じられます。
これらにより、当事者としての貴重な声が、その価値を毀損することなく読み手に伝わるのだと思います。

最後にー「福祉ネイティブ」ー

ダブル手帳さんの見解からは、障害や福祉がいまだ特別なことになっているのではないか(障害や福祉を特別視していないか)という問題意識が得られると思います。

「特別なことか?」と思うと、ある記事での「福祉ネイティブ」という言葉が思い出されました。ネイティブという言い方がおしゃれなので使いたくなるわけですが、「当たり前のことだ」という意味かと思います。

「特養の壁崩壊」などの活動で知られる馬場拓也氏の記事から

その記事は、

『地域介護経営 介護ビジョン』2019 3月号 (←amazonへのリンク)という雑誌(発行所は株式会社日本医療企画)での社会福祉法人愛川舜寿(あいかわしゅんじゅ)会 常務理事の馬場拓也氏のインタビュー記事(インタビュワーは大久保典慶氏) です。

 

記事の題名は
ー「特養の壁崩壊」などの活動を通し「社会をやさしく」するー
です。(注:上記雑誌pp.1-3。本文へのリンクはなし)

 

馬場さんは、特養(「ミノワホーム」という名前)の周りを囲っていた塀や門をハンマーで壊す「特養の壁崩壊」の活動を行いました。地域と特養の精神的な距離を見直す「距Re:デザインプロジェクト」の一環として行い、壁を取り払った後は、施設の前に花壇やベンチなどの地域開放スペースをつくりました。

 

この「壁を壊す」という大胆な発想については、この記事で、馬場さんは、

特養でのお祭りなどのイベント開催時に、地域の人たちに向けて「皆さんも気軽に来てください」と言っておきながら、特養自体は約80mにわたる壁で囲われていることに違和感を抱くようになり、「なぜ壁が必要なのか」という疑問が強くわいてきたことがきっかけです。地域と福祉施設を隔てる物理的な壁を取り払うことで、精神的にも壁をなくし、境界をグラデーションにしたいと考えました。

 

と見解を述べられています。

「福祉ネイティブ」が育つ共生社会へ

「福祉ネイティブ」という言葉は、愛川舜寿会が昨年(2019年)4月に開設された「カミヤト凸凹(でこぼこ)保育園」(←フェイスブックページへのリンク)についての語りの中で登場します。

 

この保育園は、壁を壊した特養から10分ほどの位置にあり、その特養と同様、地域に開放した縁側のようなスペースがあります。
そして、この保育園では、子どもたちを障害のある・なしで分けずに、一緒に成長する場を目指しています。

 

馬場さんはその記事でこう言っています。

障害者が周りにいない環境、同じように(要介護)高齢者がいない環境で育った人は多くいます。そして、知らないから接し方もわからないという人が大半なのではないでしょうか。障害者や高齢者を分断し、排除するのではなく、一緒に居られる環境を模索することが大切なのではないでしょうか。

 

そして、この保育園で、そうした多様性を当たり前に捉えられる『福祉ネイティブ』が育っていくことを、強く願っていますと言われています。

「障害は特別なこと」VS「福祉ネイティブ」

「福祉ネイティブ」は馬場さんの造語でしょうか。興味深い視点です。
自分は振り返ると「福祉ネイティブ」と言える育ち方をしていないなと思います。漠然とながら「多様性のある人たちの中で育った」というよりは、「似たような人たちの中で育った」と感じています。
ですので、「福祉ネイティブな育ち方」は憧れますね。

 

私は「福祉ネイティブな育ち方」をしていないので、要介護高齢者との関わり方、認知症高齢者との関わり方、障害者との関わり方は、介護や福祉の現場で、彼ら・彼女らとの実際の関わりを通して、学んできました。単純化して言えば、大人になってからの個人の努力によって学んだと言えるかもしれません。

 

「医療モデル」と「社会モデル」についてのダブル手帳さんの解説を紹介しました。
障害は障害者が個人の努力によって乗り越えるべきものだと考えるのを「医療モデル」と呼ぶことに倣えば、障害に対する「偏見」(「(実態とは離れて)特別視する」など)についても、健常者が個人の努力によって乗り越えるべきものと考えるのは「医療モデル」的な見方になるのではないかと思われます。

 

馬場さんが言われた「地域と福祉施設の間の精神的な壁を取り払った」というのは、福祉施設の外側にいる人からすれば、「偏見」を取り除くきっかけになったかもしれません。福祉施設の外側にいる人たち(健常者側)の「偏見」を取り除くための「社会モデル」的な対応と言えるかもしれません。
大人になってから実地に出て学ぶのではなく、幼児や子供の頃から、高齢者や障害者が当たり前にいる環境のなかで、生活上の自然な交流経験に裏付けられた、多様な人との付き合い方、関わり合い方を身につけていくこと(「福祉ネイティブ」な育ち方)がはるかに望ましいと思います。

 

(文:星野 周也)

<参考>

1. 社会への貢献・歩み “社会”と“在宅介護”とわたしたち福祉の街|(株)福祉の街のサイトから

2. 歴史|(株)福祉の里のサイトから

3. グループの歴史|セントケア・ホールディング(株)のサイトから

4. 創業20年で介護企業を株式公開 足元固めて次なる飛躍目指す 村上 美晴氏 セントケア株式会社社長(日経ヘルスケア 2004/01号)|日経BP記事検索サービスにて購入

5. 創業ストーリー② 福祉創業~訪問入浴サービスで介護事業に参入~|(株)ツクイのサイトから

6. 創業ストーリー③ 信念 いまも生き続ける創業者のDNA|(株)ツクイのサイトから

7. 介護大手【2020年3月期決算を読む】コロナ禍で減益も|高齢者住宅新聞Online 2020.07.10付 

8. ゴールドプランとは|安心介護 介護の基礎知識 2016.12.20付

9. オレンジクロスシンポジウム〔第4回〕2040年への展開(2018年7月20日)【第1部】介護保険制度創設から地域包括ケアシステムへ 講演録|一般財団法人オレンジクロス

10. 2015年の高齢者介護~高齢者の尊厳を支えるケアの確立に向けて~(高齢者介護研究会報告書、2003年6月26日)|厚生労働省

11. 障害者手帳について|厚生労働省

12. ケア原論3「福祉の解放とコミュニティ連関」|東京藝術大学 履修証明プログラム Diversity on the Arts Project 2019.06.24付

13. 24時間テレビを感動ポルノと批判した「バリバラ」の快挙(著者は今一生氏)|IRONNA

 

 

 

阿波おどりと「ねたきりになら連」

 

こんにちは。
認知症Cafést編集スタッフのSです。

一枚の葉書

 

ここに1枚の葉書があります。
阿波踊り(おどり)の中止を伝える葉書で、「ねたきりになら連」という踊りのグループが差し出し人です。

 

本来ならば、本日は、阿波おどりの開催期間中に当たりますが、新型コロナウィルス感染症の影響を受けて、阿波おどりは全面中止になっています。

阿波おどりと私

夏の納涼祭で踊る

以前の記事(「志村けんさんからの学び―ドリフの笑いは介護現場でも通用した― 」)で書きましたとおり、
有料老人ホームの夏の納涼祭で、志村けんさん(ドリフ)の「東村山音頭」に感化され、自分たちのアレンジを加え、老人ホームの入居者、働くスタッフのみんなで阿波おどりを踊りました。
私はこの老人ホームで働く介護スタッフで、この納涼祭の実行委員長を務めました。

 

「全員集合、全員参加」を理念とし、
納涼祭を盛り上げてもらうために呼び、ダブルダッチ(注:二本の縄を使う縄跳びのパフォーマンス。向かい合った2人の縄の回し手が、右手のロープと左手のロープを半周ずらせて内側に回す中を、跳び手が色々な技を交えて跳ぶというもの) を披露してもらった日大の学生さんたちにも、この時間は、入居者やスタッフの阿波踊りの輪に加わってもらいました。

 

歩くことができる入居者はもちろん、車いすの入居者の方にも阿波おどりの輪に加わっていただきました。

 

入居している要介護・要支援の高齢者が祭りの主役であるべきという思いから、可能な限り、車いすの方、リクライニング車いすの方に浴衣を着ていただきました。浴衣は家族に持ってきてもらうようお願いしました。
座位保持も難しく、手の拘縮も強くなっている方に浴衣を着ていただくというところに、介護職としての介護技術の見せどころがあるだろうと考えたものです。

阿波おどりを見ることはプライベートでの趣味になった

私はこうして、老人ホームの現場での仕事で、阿波おどりの楽しさや深さを知ったわけですが、それがきっかけになり、実際の阿波おどりを見に行くことが、プライベートでの趣味になりました。
屋外での阿波踊りも見ましたし、屋内の舞台での阿波踊りも見ました。

注:2015年(平成27年)8月30日、高円寺にて。

 

注:2016年(平成28年)8月28日、座高円寺という舞台にて。

 

注:2019年(令和1年)7月27日、神楽坂にて。

阿波おどりの本場の徳島へも出向く

話が前後しますが、阿波おどりの本場の徳島へも出向きました。
本場を見てみたいと思っていたところ、「ねたきりになら連」という阿波おどりのグループがボランティア募集しているのを知り、飛びつきました。
今から6年前、2014年(平成26年)813日のことです。

 

注:2014年(平成26年)8月13日、徳島市市役所前演舞場にて。

ねたきりになら連とは/障害者や高齢者がこの場の主人公

ねたきりになら連は、

 

・脳血管障害などで手足の不自由な方も、私たちといっしょに「阿波おどり」を楽しみましょう

・家庭に閉じこもりがちな高齢者の方々に日本の代表的なお祭りである「阿波おどり」に参加してもらおう

 

という趣旨で活動する徳島生まれのボランティアグループです。
「徳島老人生活ケア研究会」の設立(1993年)により誕生しました。

私もボランティアという立場で「特権」を得て、徳島市市役所前演舞場に立つ

ねたきりになら連のサイトでの年表では、
1993年より毎年、阿波おどりへの参加者について、「車イス58名/ボランティア156名」など記されています。

 

ボランティアとして参加した2014年8月13日、白髪を美しく整えられた高齢女性が乗る車イスを押しながら演舞場を行進いたしました。つまり、本場徳島の阿波おどりを見る側として楽しんだだけではなく、演者側(見られる側)としても楽しみ、味わうことができたのです。
徳島市市役所前演舞場のあの観客席の前を、祭り特有の高揚した空気感の中、歩いたのですね。
ボランティアという立場で「特権」を得たようでした。

ノーマライゼーション

ねたきりになら連のサイトのコラムでは、
障害者福祉を考える上での基本理念としてノーマライゼーションについて語られています。
これは、ねたきりになら連の活動の支えとしてこのサイトでは示されているわけですが、
福祉社会の創造を目指す人や団体(弊社や当サイトを含む)が繰り返し立ち返るべき基本精神と思います。

 

「障害者を施設に収容するのではなく、障害者が健常者とともに地域社会の中で普通の暮らしが出来る社会こそが本来のあるべき姿であり、若者も老人も、健常者も障害者も、ともに助け合い同じ地域に住めるように社会全体で条件を整えていくべきである」という障害者福祉を考える上での基本理念。この考え方は、1981年の「国際障害者年」を契機にひろく定着しつつある。
「障害は社会によって作られる」とか「ねたきりはねかせきりからはじまる」と言われるように、手厚く保護されているようでも、それが隔離や排除思想の上に行われていたのでは、あたりまえの人間として生きたい人を支えることにはならない。

 

「いつかは私も」と、お互いが自分のこととして、お互いの自立を支え合うことが重要だ。そして自立した人間同士がみんなで連帯してネットワークを広げていけば、ノーマライゼーションに基づいた地域ぐるみでの福祉が実現するのではないだろうか。

圧巻の場面ー「ねたきりになられん」とみんなで叫ぶー

演舞場でのパフォーマンスで圧巻だと思ったのが、
無理のない範囲で、ボランティアの人に支えられながら、車イスの人に立ってもらって、かけ声をみんなで叫ぶところです。

 

「ねたきりになられん」は掛詞(かけことば)になっていて、「ねたきりになら連」というグループ名と、「寝たきりになってはいけませんよ」という意味の阿波(徳島)方言を指しています。

 

車イスの人に立ってもらって、「ねたきりになら連」でのかけ声をみんなで叫ぶのですね。

 

「ねたきりに」 

「なられん なられん なられんよ」

 

などと。

 

これは私も気持ちが高まり、感激しました。
車イスに乗っている障害者や高齢者がこの場の主人公で、阿波おどりのパフォーマンスの主役として立ち上がってもらい、その人らしく振舞う(自己表現する)のを支えるーこれが介護の仕事だと思いました。

「ウイズコロナ時代」の新たな阿波おどりに期待

ねたきりになら連へのボランティアとしての参加は、この一度だけですが、以来、毎年お葉書を頂いております。そのお気持ちうれしく思っております。
コロナウィルス感染症の影響を受けて、今後、どういう形になるのか分からないですけども、また、参加させていただきたく思っています。
新たな阿波おどり、「ねたきりになら連」に期待します。

終わりにー ショートムービー ー

ねたきりになら連のサイトからは、
ねたきりになら連の考えや実際の阿波おどりの様子を紹介するショートムービーへのリンクもあります。

 

百聞は一見にしかずで、動画を見れば、私が今まで書いたことも「そういうことか」と納得していただけるのではないでしょうか?
阿波おどりや夏のお祭りの雰囲気を感じていただければ幸いです。

(終)

 

注:youtubeでの動画へのリンクを貼っています。この画像はこの動画のサムネイルをコピーしました。

 

 

 

 

「介護現場へ復帰」はどうだった?

 

こんにちは、認知症Cafést Online編集スタッフのUです

「介護現場へ復帰」はどうだった?

前回の「介護現場へ復帰」のご報告をさせていただきます。
週一日で計五日間、訪問入浴サービスをやらせていただきました。

訪問入浴とは

訪問入浴サービスの事を簡単に説明すると、専用の車両でお客様のお宅に3人で伺い簡易浴槽を使いお部屋で入浴していただくサービスとなります。

3人のチームワークが大切

この3人のチームワークが非常に大切になります。
初対面のスタッフと初めて伺うお客様宅…。
もちろん初めてお会いするお客様です。
だからと言って、お客様には関係ありませんので言い訳はできません。

全身筋肉痛

一緒に回ってくれたスタッフに迷惑をかけ助けられながらですが、大きなミスもなく、個人的には無事に終えられたと思います。
(初日の翌日は全身筋肉痛で動けませんでしたが)

ヒントときっかけ

さて、「現場の課題を解決するためのヒント」ですが・・・
ご推察の通り、そんな余裕はありませんでした。
ですが、ほんの少しだけきっかけを掴めたような気がします。

この時期、マスクを着用

そして、この時期、マスクを着用しながらの現場は想像以上に過酷でした。
(人一倍、汗かきの私は、息ができませんでした。)

それでも、現場は…

それでも、やっぱり現場は楽しかったぁ~

(終)