重度の認知症の人をどう捉えるか?-個別性が失われたというよりも、隠されている―

 

こんにちは。
認知症Cafést編集スタッフのSです。

 

先日のツイートで、認知症の人が死を迎える直前に、一時的に体調が良くなったり、覚醒したりする現象について書きました。

⇒⇒⇒認知症の人の終末期覚醒について

 

個別性が失われたというよりも、隠されている

この現象について、認知症の医療とケアの分野で多大な功績を残した精神科医の長谷川和夫さん(昨年11月にご逝去)も言及しておりました。
その文章を引用します。

 

最近、D. Edvardssonらは、重度のアルツハイマー型認知症の人が、自らの状況についてはっきり認識しているかたちで不意に話しだすとか、または行動する時期があることを述べている。また、共に暮らしている介護家族からもごく短時間ではあるが、はっきりした意思表明をして“普通”に戻った体験を聞くことがある。これらにより、アルツハイマー型認知症の人の個別性が失われた(lost)というよりも、むしろ隠されている(concealed)と考えられる。またこのような意識の明晰さの一過性エピソードは、介護スタッフが認知症の本人を受け入れ、ものの見方に寄り添い、過剰なおしつけや訂正する行為をさける場合にみられると報告されている。

 

「D. Edvardssonらは」というのは次の論文のことです。

Edvardsson D, Winblad B, Sandman PO. Person-centred care of people with severe Alzheimer’s disease: current status and ways forward. Lancet Neurol. 2008 Apr;7(4):362-7. doi: 10.1016/S1474-4422(08)70063-2. PMID: 18339351.

意識の明晰さの一過性エピソード

重度の(アルツハイマー型)認知症の人における “意識の明晰さの一過性エピソード”というトピックが英語の論文で指摘されているということに素直に感動しました。
重度の認知症の人が周囲の状況をはっきり認識していることを神秘的なこととして考えるのではなく、客観的なこととして、あるいは、説明可能なこととして捉える“知的”な立場を感じます。

心のどこかで押しつけをしていないか?

また、認知症の人の個別性が失われたのではなく、隠されていたということではないかと問われると、はっとしませんか?
その個別性が見えていなかっただけではないか、気づけていなかっただけではないかと、自分たちの眼力が問われているかのようです。
そんなつもりはなくても、心のどこかで認知症の人を「分からない人」と押しつけをしていないかということは、介護の仕事をしている人は特に日々振り返らなければならないことであろうと思います。

寄り添われていることの気配が認知症の人の感性に届いている可能性

長谷川和夫先生は、さきほど引用した「認知症の人の看取りに関する課題と展望」という論文のなかで、さらに次のような重要な指摘をされています。

 

認知症が高度になると何もかも分からなくなって、植物的存在になるという考えも疑問視されている。寄り添われていることの気配は認知症の人によって感知される可能性があるかも知れないのである。ことに語りかけたり、音楽をかけたり、身体的接触を合わせて行うと認知症の人の感性に届く可能性を否定できない。このことは今後、客観性をもつevidenceをさぐる必要があるだろう。

 

どの程度、客観的なevidenceで迫れるか?

「死を迎える直前に意識が一時的に明晰になることがある」、「認知症が進んでも感性には届いている可能性がある」―これらの命題や仮説は、どの程度、客観的なevidenceで迫れるものなのでしょうか?

反応がなくなった死の間際の人も耳は聞こえているかもしれない

2020年に発表されたカナダの研究では、音刺激に対する脳波の反応データを指標にして、死の間際のホスピス患者と健康な人の比較が行われています。
この研究の結果では、死の間際の人は、意識レベルでの反応がなくても、音に対する脳波の反応という面においては、健康な人と同様の反応が検出されたということです。

 

 

死の間際の人がどのように音を認識しているかを知るすべはなく、不明点は残るものの、意識上は反応がなくても、聴覚に関わる脳活動は起こっていたので、意識のない死の間際の人も耳は聞こえているという立場を支持する側の知見と考えられます。

 

この研究論文はこちらになります。

Blundon, E.G., Gallagher, R.E. & Ward, L.M. Electrophysiological evidence of preserved hearing at the end of life. Sci Rep 10, 10336 (2020). https://doi.org/10.1038/s41598-020-67234-9

臨死体験とエビデンス

「死の間際の人がどのように音を認識しているかを知るすべはない」と言いましたが、死に瀕した状態から生還された方の経験は知ることができます。
ジャーナリストの立花隆(2020年にご逝去)さんが案内役となった2014年の臨死体験に関するNHKスペシャルでは、この点に鋭く迫っています。

 

臨死体験は、事故や病気などで死に瀕して意識を失っている人が、意識を取り戻した後に語る、不思議な視覚体験です。

 

体験者の多くは、自分の体から心が抜け出して、天井付近から自分の体や周囲にいる人たちを見下ろしたりします。体外離脱と呼ばれる現象です。そして、そのまま心はトンネルを抜けてまばゆい光に包まれた世界へ移動して、美しい花畑で家族や友人に出会ったり、超越的な存在(神)に出会ったりする。

出典:「私自身、若い頃は、死が怖かった」“臨死体験”を取材した立花隆さんが伝えたい、人間が“死んでいく”ときの気持ち 《追悼》立花隆さんインタビュー#1(取材・構成は緑慎也氏)|文春オンライン 2021/06/23

 

さきほど、意識上は反応がなくても、聴覚に関わる脳活動が起こっていたことを示す研究の知見を紹介しました。
これになぞらえた言い方をすれば、臨死体験は、意識上は反応がなくても、死の間際まで行っていた人には、美しい花畑などが見えていた(≒視覚に関わる脳活動が起こっていた)体験と言えるのではないかと思います。

死の間際の脳活動の活発化

このときのNHKスペシャルでは動物実験ですが、次のような研究結果が紹介されています。
ラットの脳細胞を使った実験です。
記憶に関係があるとされる脳の海馬を虚血状態(局所的な貧血状態)に置いてみたところ、以下の結果が得られました。

 

神経細胞の活動はどんどん低下していきましたが、驚いたことに5~10分程度経過したところで猛烈に活動しはじめ、その状態が数秒間続き、突然、すべての反応が消えたと言います。まるでロウソクの火が消える直前に激しく燃えるような現象でした

出典:同上(文春オンラインの立花隆さんインタビュー)

 

ラットの細胞レベルですが、死の間際の脳活動の活発化が確認されたという結果です。
「ロウソクの火が消える直前に激しく燃えるような現象」と説明を受けると、「人間が死を迎える直前に一時的に意識が明晰になることがある現象」のことが思わず連想させられてしまいます。

終わりに

介護の仕事をしている人であれば、人生の最期まで、その人をひとりの人間として尊重し、その人の視点や立場にたって関わるという考え方は教わると思います。
そこには、相手に声が届いていようがいまいが、感知されていようがいまいが、それらをお互いの意識レベルではっきり確認しあえなくても、そう実践していくという姿勢も含まれていると思います。

 

相手の意識がない場合など、その場面だけ見れば、こちらからの一方的な関わりで、見返りのない関わりに見えることがあっても、その人の尊厳を保持した関わりをするというのは、この仕事をしている人には“当然のこと”であってほしいと思います。
認知症で状況がわかっていないだろうという浅はかな考えから、一人の人間として軽んじた関わりをして良いということは断じてありません。

 

今回の議論を反映させれば、「相手に感知されていようがいまいが」という言い方には「その点が科学的に明らかになっていようがいまいが」という意味も含まれてきます。
そして、繰り返しになりますが、「相手に感知されていないかもしれないが、あるいは、感知されていないのだとしても、その人を尊重して関わる」という姿勢が介護の仕事では大事に思えます。
ですので、ケアに対する姿勢や倫理を深める方向で、今回紹介した長谷川和夫先生の論文や脳科学の知見を咀嚼していただければ幸いです。

(終)