認知症からの終末期の覚醒について

2019/02/12
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こんにちは、Cafést編集スタッフのSです。
病人や患者が死を迎える直前に、一時的に体調が良くなる現象についての論文(後掲)を読みました。「終末期の覚醒」とこの論文では呼んでいます。

「中なおり」―歴史学や民俗学での言葉

死の前に一時的に体調が良くなることを歴史学や民俗学では「中なおり」との言葉で認識されてきたとか、地方では「エゲを見せる」(四国)、「エエメを見せる」(石川県吉野谷村)、「ヨナオシ」(群馬県伊勢崎市)、「ヨウナリ」(滋賀県東近江市)と呼ばれてきたとかの記述を読みながら、このようなこと―終末期の覚醒―は決して稀なことではない現象なのだと思いました。

中国語や英語での表現

中国語では沈む夕日の照り返しを意味する「回光返照」という表現が使われていたり、英語圏では“premortem clarity”、“lucid moment”、“lightening up before death” などと呼ばれていたりするとのことです。

Cafést編集スタッフのSの経験

私にも覚えがあります。
当時、週に1度、有料老人ホームの夜勤に入っていました。
その方は100歳越えの明治生まれの長生きの方でしたが、1か月前から食事・水分の摂取状況が落ちてきていました。そのようななかでの出来事です。

 

私の夜勤時に、朝4時にうめき声を挙げられ、訪室するとけいれんをおこし、息苦しく呼吸をされていました。一度落ち着かれましたが、5時半にも苦しそうに呼吸をされる状態になりました。予断を許さない状況と思いましたが、朝には活気を取り戻されました。ハイテンションで、(後から振り返るとですが)異様な明るさでした。水も欲されて、がぶがぶ(という勢いで)飲まれていました。

 

ところが、私が夜勤明けで帰った後の昼過ぎに、再び意識レベルが低下されました。その状態で一週間持ちこたえられて、私の夜勤の日を迎えられ、そのときにお亡くなりになられたのでした。

認知症からの終末期覚醒

この論文ではいくつか認知症からの終末期覚醒のエピソードが語られています。
次は病院勤務の看護師が語っているというエピソードです。

私は夜勤明けに朝9時のパット交換を行った後、排泄後の処理をしようとしたら、「世話になったな……」と聞こえたので、その方のベッドを見ると、その女性が起きあがり、私に目を合わせてもう一度、「世話になったな。心残りないわ」と言われました。その方は、その日の午後3時頃、亡くなりました。

 

認知症があり、ほとんど声を聞いたことがなかったにもかかわらずということです。
この論文の著者らはその他のエピソードも踏まえて、「認知症が不可逆的な人間性の喪失をもたらすと一般的に信じられている中で、こうしたエピソードは、たとえまれであるとしても、認知症の状態にある人にも最期のときまで人間的な交流をもつ可能性があることを具体的に示している」と論じています。

在宅ホスピス遺族調査からの数量的な結果

この種類の経験がまれなことか否かについて、この論文では在宅ホスピスのサービスを利用して家族を看取った遺族に対する調査の結果も報告されています。2~3割の人(663人の回答に対する割合)が「急に性格が穏やかになった」「悪化していた体調が一時的に改善した」「ぼんやりとしていた意識が一時的にはっきりした」「じっと手を見つめていた」「あらたまって周囲の人々にお別れのことばを述べた」という経験をされていました。

さいごに

自分の夜勤時にお亡くなりになられた方の経験は忘れがたいものです。不謹慎な面もあるかもしれませんが、この仕事をやっていて良かったと思えるくらいの充実した感覚が伴うのは、普段なかなか向き合うことのできない「命」にじっと向き合うことができる時間だからではないかと思います。
私がご紹介した事例の方は認知症があるといえばある方でしたが、認知症の人というくくりで見ていたわけでは必ずしもありません。あくまで〇〇さんの看取りでした。認知症の人も含めたお亡くなりになられる方の力―そばで向き合う者に残してくれる力―を指摘して、このツイートの終わりとしたいと思います。

 

<文献>

諸岡了介、相澤出、田代志門、藤本穣彦、板倉有紀(2018)、「終末期に生じる一時的な覚醒・寛解とその意味―在宅ホスピス遺族調査から」、『死生学・応用倫理研究』第23号 横書きpp.1-26

注:出典の雑誌のwebページはこちらをクリックすれば辿れます。しかし、個々の論文は電子化されていないようです。

 

 

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