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移動の快楽と不要不急なことの大切さ

 

 

カフェスト編集スタッフによるコラムであるこのコーナー(Editor’s Tweet)もコロナに関する内容ばかりになってしまっているが、最近見聞きした話題で興味深かったものを2つ紹介したい。

① 人の脳は「移動」を快楽と捉えていた

まず、1つ目は、筆者の知人がSNSでシェアしていたものだ。
要約すると

 

 

ということだ。

 

筆者の実体験だが、以前、職場でストレスフルな状態だったとき、帰宅時の経路をいろいろに変えることで気持ちのバランスを取っていたことがあった。「もう1本先の道を通った方が近いかな?」とか「こっちの道を通るとコンビニに寄れるんだな」などと考えて通ることが楽しくて、通常なら20分ほどの道を1時間近くかけたこともあった。なので、この研究結果には素直に納得できる。
自粛期間中の鬱屈した気分の一部は、上記のような移動に対する制限がもたらしているのかもしれない。

徘徊が起こったときに単に連れ帰ればよいのか?

上記の研究結果を介護や認知症に関連付けて考えるとどうだろうか。
なぜ徘徊をするのかという研究もされてはいるが、認知症とともに暮らしている人(認知症の本人)たちはきっと徘徊を楽しみ、徘徊によって幸福を感じているのではないかという予測は成り立つのではないか。

 

この推論に立てば、徘徊が起こったときに単に連れ帰るのではなく、安全に対する対策を講じたうえで本人の自由で徘徊することができれば、本人にとっての幸福度も増すと同時に認知症予防にも寄与するのではないか、という昨今の流れにもつながってくると思う。

② コロナがもたらす時間感覚の変容

2つ目は、精神科医の斎藤環さんへのコロナ禍におけるインタビュー記事だ。

 

7/13のNHKラジオに出演した精神科医の斎藤環さんは、自粛生活で同じような日々が続くと時間の感覚が薄れ、過去の記憶や記憶の前後関係があいまいになると話していた。
そして、だからこそ不要不急なことが大切なんだと結んでいた。

 

このことも介護に関連付けてみると、施設の中で家族との面会やイベントも無く、毎日が単調な日々の積み重ねになってしまうと、認知症の悪化は容易に起こりうるのではないかという推論が成り立つ。
勿論感染リスクの軽減という観点で、さまざまな自粛や対策は必要だ。ただその一方、認知症予防という観点で、施設のお客様にも不要不急なこと(=非日常なこと)はある程度必要なのではないか。

まとめ

今回紹介した記事では、コロナ禍での過度な自粛がもたらす弊害が浮き彫りになった格好だ。我々の生活はもちろん、施設で暮らされているお客様にとって何が最良の方法なのか、我々は常に考えていくことが重要なのではないだろうか。

(文:マツ)

 

 

 

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