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『24時間テレビ』誕生の舞台裏からー「障害は特別なこと」VS「福祉ネイティブ」ー

Glass jar with the words Charity and the heart. The concept of accumulating money for donations. Saving. Social medical help from volunteers. Charitable foundation

 

明日からの2日間、22日(土)、23日(日)に、
日本テレビで『24時間テレビ』が放映されます。
1978年に第1回が開催され、今年は43回目ということです。

『24時間テレビ』生みの親のインタビュー記事

昨年、文春オンラインに『24時間テレビ』生みの親の都築忠彦氏(1935年生まれ、1961年日本テレビ入社)へのインタビュー記事が掲載されました。
今回、ご紹介したいと思います。
全3回ですが、いずれも2019年11月24日付の記事です。

 

「タモリさんも僕も偉そうなのが嫌いだった」『24時間テレビ』生みの親が語る、番組が始まった頃 『24時間テレビ』生みの親・都築忠彦氏インタビュー #1

感動ポルノについて「ええ、知ってます」――『24時間テレビ』生みの親にネットでの批判について聞いてみた 『24時間テレビ』生みの親・都築忠彦氏インタビュー #2

「“出口”が見つからないがために、形にならない善意がある」『24時間テレビ』生みの親が語る、番組の原点 『24時間テレビ』生みの親・都築忠彦氏インタビュー #3

 

全3回を通じて、話題が多彩で、読み応えありましたが、
その中で当サイト(認知症カフェスト)で取り上げたいと思ったところが2箇所あります。

第1回のテーマは「寝たきり老人にお風呂を!…だった」

1点目は、1978年(昭和53年)の第1回のテーマが、「寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を!」であったという点です。

 

高齢者介護の仕事をしてきた者として、大変興味深いです。
高齢者介護を取り巻く社会背景には関心がありますので、第1回『24時間テレビ』のテーマ設定は、知っておいてよいことと感じました。

『24時間テレビ』の生みの親の都築さんの言葉から

『24時間テレビ』の生みの親の都築氏はこう言っています。

当時は、老人や身体障害者が家の中に押し込められているのが当たり前だったから、“寝たきり老人”という言葉すら知らない人も多かったんですよ。社会問題化していなかった。そこで、集まった寄付で入浴車やリフト付きバス、車椅子を購入する番組をやって、こうした支援の必要性を訴えていこう、と。

何しろ前例がないものですから、「そんなもの、成功するのか」という声もあったんだけれども、蓋を開けてみると11億9000万円を超える寄付が集まった。第1回ではチャリティー・ウォークという企画があったんですが、4万人もの人が渋谷の公園通りに集まったんですよ。

 

 

さらに、『24時間テレビ』の初期に、民間がやることなのかという批判があったそうで、それに対しては

だけど、僕からすると「民間がやって何が悪いんだ」ということなんですよ。視聴者が、自らの意志で動き、課題を解決する。非常に直接民主主義的だと思うわけです。

 

と言われています。

 

民間がやることなのかという批判があったそうなのですが、
老人のために寄付を集めて、入浴車を購入して支援するというようなこと、つまり、福祉的なことは、民間ではなく、お役所がすべきことという見方があったのでしょうか?(注:本記事ではこの点に関する、これ以上の掘り下げは出来ておりません。今後の検討課題と致します。)

『24時間テレビ』の年表(←リンクあり)を見てみると

なお、『24時間テレビ』の年表(←リンクあり)から、第1回(1978年)以降で、寝たきり老人やお年寄りという言葉が含まれているテーマを拾うと、以下の通りです。

第2回(1979年/昭和54年)のテーマ
寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!
第9回(1986年/昭和61年)のテーマ
寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を!
そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために!
第11回(1988年/昭和63年)のテーマ
君は地球のボランティア
お年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を!
第14回(1991年/平成3年)のテーマ
雲仙・普賢岳災害救援!寝たきりのお年寄りにお風呂カーを!
障害者に社会参加を!アジア・アフリカに海外援助を

 

「寝たきり老人にお風呂を!」(それに類することを含めて)は1970年代後半から、1990年代前半まで取り上げられたテーマであったことが分かります。

1980年代は訪問入浴の事業の萌芽の時期

この時期、1980年代は実は訪問入浴の事業の萌芽の時期です。
福祉の街(1980年創業)、福祉の里(1983年創業)、セントケア(1983年創業)はこの時期に、訪問入浴の事業からスタートしています。
介護大手の1つ、ツクイ(1969年に土木建設会社として創業)もこの時期(1983年)に訪問入浴サービスで介護事業に参入しています。

 

いずれも民間の会社で、自治体や社会福祉協議会から委託を受けて、訪問入浴のサービスを行っていました。

 

1980年代と言えば昭和の終わり。
平成に入って、1989年(平成元年)にゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10か年計画)が策定され、以降、介護サービスの提供体制の整備が進んでいきます。2000年に創設された介護保険制度では、民間事業者によるサービス提供が推進されました(注:具体的には、在宅サービスにおいて、サービス提供主体に関する規制が撤廃されました)
こういう日本の高齢者介護の歴史の流れを意識してみますと、今回ご紹介した1980年代のテレビ番組の企画(「寝たきり老人にお風呂を!」)や、民間の訪問入浴事業の胎動が、(まだ漠とした構図なのですが)時代の潮流と連動していると感じます。

『24時間テレビ』への「感動ポルノ」批判に対する議論

続いて、当サイト(認知症カフェスト)で取り上げたいと思ったところの2点目は、『24時間テレビ』への「感動ポルノ」批判(番組が、健常者を感動させたり、やる気を出させるために障害者を利用しているという批判)に対する議論です。

都築さんの見解

都築さんはこの批判に対してこう答えられています。

銭儲けのために、障害者を見世物にして、視聴者が見そうな話や、シーンをわざと選んでいる、という話でしょう?でも、「これ儲かるんとちゃうか」といって企画を考えるプロデューサーなんていませんよ。伝える意義があると思うのが出発点ですよ。

そもそも、マイノリティが努力して障害を克服する姿を、子どもたちが見て感動することを僕は“感動スイッチ”と呼んでいます。感動スイッチによって、世の中が動き、差別撤廃のきっかけになることもあります。

 

インタビューをしている「ダブル手帳」さんの見解

「医療モデル」と「社会モデル」

このインタビュー記事で特徴的だと思う点は、都築さんへインタビューしている方の属性です。
「ダブル手帳」というペンネームの障害当事者が、このインタビューを行っています。身体障害1級(脳性麻痺)、精神障害3級(発達障害)であることから、そのペンネームに反映させているのであろうと思います。

 

障害当事者が障害者のテレビでの描かれ方について質問をしているため、迫力を感じます。そして、質問者という立場ではあるのですが、ダブル手帳さんが時折示される見解が鋭いと感じられました。

 

特に、「感動ポルノ批判」の背景にある障害(者)を捉える見方・思想の変化についての解説はうならされました。

現在は障害は個人が持つ属性であり、それを乗り越えるのは個人の責務とする「医療モデル」から、社会が障害者にとっての障害(障壁)を作っており、その障害を取り除く責務は社会の側にあるという「社会モデル」 が主流になってきています。

24時間テレビ』を批判する人たちは、頑張っている障害者たちは素晴らしいとしても、そういう障害者の姿ばかりを放送することによって、障害は個人の努力で克服していくべきものという「医療モデル」的な見方を強化してしまうのではないか、と懸念しているのでは?

 

特別な理由がつけられて障害者が取り上げられるようでは、障害者の存在が可視化されているとは言えない

そのうえで、障害当事者として、以下の見解を述べられており、説得力があると思いました。

私は障害者当事者ですが、福祉番組であるとか、特別な理由がつけられてようやく障害者が取り上げられるようでは、まだまだ障害者の存在が可視化されていると言えないと思っています。

たとえば、私は特別な理由なく、身体障害者がテレビ局の“顔”であるアナウンサーを務めるような世の中になってほしい、と願っているんです。

 

障害当事者としての経験は当然借り物ではありません。
当事者の声は貴重ですが、「正解」の押しつけのように提示されると読む側は窮屈になってしまいます。しかし、決してそういうことはありませんでした。また、インタビュー相手の都築さんの意見を尊重していたり、理解を示したりと対話のマナーを守っているとも感じられます。
これらにより、当事者としての貴重な声が、その価値を毀損することなく読み手に伝わるのだと思います。

最後にー「福祉ネイティブ」ー

ダブル手帳さんの見解からは、障害や福祉がいまだ特別なことになっているのではないか(障害や福祉を特別視していないか)という問題意識が得られると思います。

「特別なことか?」と思うと、ある記事での「福祉ネイティブ」という言葉が思い出されました。ネイティブという言い方がおしゃれなので使いたくなるわけですが、「当たり前のことだ」という意味かと思います。

「特養の壁崩壊」などの活動で知られる馬場拓也氏の記事から

その記事は、

『地域介護経営 介護ビジョン』2019 3月号 (←amazonへのリンク)という雑誌(発行所は株式会社日本医療企画)での社会福祉法人愛川舜寿(あいかわしゅんじゅ)会 常務理事の馬場拓也氏のインタビュー記事(インタビュワーは大久保典慶氏) です。

 

記事の題名は
ー「特養の壁崩壊」などの活動を通し「社会をやさしく」するー
です。(注:上記雑誌pp.1-3。本文へのリンクはなし)

 

馬場さんは、特養(「ミノワホーム」という名前)の周りを囲っていた塀や門をハンマーで壊す「特養の壁崩壊」の活動を行いました。地域と特養の精神的な距離を見直す「距Re:デザインプロジェクト」の一環として行い、壁を取り払った後は、施設の前に花壇やベンチなどの地域開放スペースをつくりました。

 

この「壁を壊す」という大胆な発想については、この記事で、馬場さんは、

特養でのお祭りなどのイベント開催時に、地域の人たちに向けて「皆さんも気軽に来てください」と言っておきながら、特養自体は約80mにわたる壁で囲われていることに違和感を抱くようになり、「なぜ壁が必要なのか」という疑問が強くわいてきたことがきっかけです。地域と福祉施設を隔てる物理的な壁を取り払うことで、精神的にも壁をなくし、境界をグラデーションにしたいと考えました。

 

と見解を述べられています。

「福祉ネイティブ」が育つ共生社会へ

「福祉ネイティブ」という言葉は、愛川舜寿会が昨年(2019年)4月に開設された「カミヤト凸凹(でこぼこ)保育園」(←フェイスブックページへのリンク)についての語りの中で登場します。

 

この保育園は、壁を壊した特養から10分ほどの位置にあり、その特養と同様、地域に開放した縁側のようなスペースがあります。
そして、この保育園では、子どもたちを障害のある・なしで分けずに、一緒に成長する場を目指しています。

 

馬場さんはその記事でこう言っています。

障害者が周りにいない環境、同じように(要介護)高齢者がいない環境で育った人は多くいます。そして、知らないから接し方もわからないという人が大半なのではないでしょうか。障害者や高齢者を分断し、排除するのではなく、一緒に居られる環境を模索することが大切なのではないでしょうか。

 

そして、この保育園で、そうした多様性を当たり前に捉えられる『福祉ネイティブ』が育っていくことを、強く願っていますと言われています。

「障害は特別なこと」VS「福祉ネイティブ」

「福祉ネイティブ」は馬場さんの造語でしょうか。興味深い視点です。
自分は振り返ると「福祉ネイティブ」と言える育ち方をしていないなと思います。漠然とながら「多様性のある人たちの中で育った」というよりは、「似たような人たちの中で育った」と感じています。
ですので、「福祉ネイティブな育ち方」は憧れますね。

 

私は「福祉ネイティブな育ち方」をしていないので、要介護高齢者との関わり方、認知症高齢者との関わり方、障害者との関わり方は、介護や福祉の現場で、彼ら・彼女らとの実際の関わりを通して、学んできました。単純化して言えば、大人になってからの個人の努力によって学んだと言えるかもしれません。

 

「医療モデル」と「社会モデル」についてのダブル手帳さんの解説を紹介しました。
障害は障害者が個人の努力によって乗り越えるべきものだと考えるのを「医療モデル」と呼ぶことに倣えば、障害に対する「偏見」(「(実態とは離れて)特別視する」など)についても、健常者が個人の努力によって乗り越えるべきものと考えるのは「医療モデル」的な見方になるのではないかと思われます。

 

馬場さんが言われた「地域と福祉施設の間の精神的な壁を取り払った」というのは、福祉施設の外側にいる人からすれば、「偏見」を取り除くきっかけになったかもしれません。福祉施設の外側にいる人たち(健常者側)の「偏見」を取り除くための「社会モデル」的な対応と言えるかもしれません。
大人になってから実地に出て学ぶのではなく、幼児や子供の頃から、高齢者や障害者が当たり前にいる環境のなかで、生活上の自然な交流経験に裏付けられた、多様な人との付き合い方、関わり合い方を身につけていくこと(「福祉ネイティブ」な育ち方)がはるかに望ましいと思います。

 

(文:星野 周也)

<参考>

1. 社会への貢献・歩み “社会”と“在宅介護”とわたしたち福祉の街|(株)福祉の街のサイトから

2. 歴史|(株)福祉の里のサイトから

3. グループの歴史|セントケア・ホールディング(株)のサイトから

4. 創業20年で介護企業を株式公開 足元固めて次なる飛躍目指す 村上 美晴氏 セントケア株式会社社長(日経ヘルスケア 2004/01号)|日経BP記事検索サービスにて購入

5. 創業ストーリー② 福祉創業~訪問入浴サービスで介護事業に参入~|(株)ツクイのサイトから

6. 創業ストーリー③ 信念 いまも生き続ける創業者のDNA|(株)ツクイのサイトから

7. 介護大手【2020年3月期決算を読む】コロナ禍で減益も|高齢者住宅新聞Online 2020.07.10付 

8. ゴールドプランとは|安心介護 介護の基礎知識 2016.12.20付

9. オレンジクロスシンポジウム〔第4回〕2040年への展開(2018年7月20日)【第1部】介護保険制度創設から地域包括ケアシステムへ 講演録|一般財団法人オレンジクロス

10. 2015年の高齢者介護~高齢者の尊厳を支えるケアの確立に向けて~(高齢者介護研究会報告書、2003年6月26日)|厚生労働省

11. 障害者手帳について|厚生労働省

12. ケア原論3「福祉の解放とコミュニティ連関」|東京藝術大学 履修証明プログラム Diversity on the Arts Project 2019.06.24付

13. 24時間テレビを感動ポルノと批判した「バリバラ」の快挙(著者は今一生氏)|IRONNA

 

 

 

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