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“息子介護”インタビュー「在宅で親の介護をしてみて感じたこと」(第1回)

 

在宅で親の介護をし、看取りもされた西山千秋さんに取材許可を得て、介護体験談を語っていただきました。

 

主介護者が長男の西山さんということですので、“息子介護”と思います。
一つの事例として在宅での“息子介護”の現場の実際をお伝えできればと思います。

 

西山千秋さん
現職:一般財団法人オレンジクロスの事務局長
(カフェスト編集スタッフが2019年7月4日撮影)

 

西山さんの在宅介護の略歴

2011年 父親を介護(介護期間は1か月半)
在宅(10日間)で看取る
2015年 母親の在宅介護を開始
2018年 母親を在宅で看取る

 

介護状況の補足

・西山さん夫婦と両親は長屋形式の家で、二世帯で暮らしていた
(同じ敷地内のL字型の建物で、渡り廊下で居住エリアを分けて暮らしていた)
・西山さんには弟が一人いて、二人兄弟
・父親の介護(2011年)の数年前から、買い物の手伝いなどを開始
(母親があまり食事を作らなくなったため)
・買い物の手伝いなどを開始してから母親の看取りまでの期間は約10年
・父親も母親も脳梗塞が介護の原因疾患
・父親は90歳、母親は92歳で亡くなる

 

 

以下、西山さんによる“息子介護”体験談です。

父親の介護

両親は父も母も脳梗塞で亡くなりました。
父は3月の末に倒れて入院しましたが、4月の末に家に引き取って、それから10日間で亡くなりました。

 

病院はなかなか退院させてくれませんでした。
1か月くらい経って回復の見込みがないと言われました。
父が私的な遺言書を作っていて、「延命治療はするな、痛みだけ取ってくれ」と書いていたのを見つけて、それを医者に見せましたら「分かりました。家で看取っていいですよ」と認めてくれました。

 

ただ、「痰の吸引は覚えてもらわないと困る」と言われ、なんとか覚えましたが、大変でした
家に帰ってからは何も食べず、10日で亡くなりました。

母親の介護

在宅介護に決めた理由

母が脳梗塞で入院していた脳外科の専門病院では特段の治療をしませんでした。
病院にいても、母がどんどん弱っていくと感じて、これはダメだと思い、私が独断で在宅介護に決めました

 

たまたま、妻の友達がケアマネジャーをやっていましたので、一緒に病院に付き添ってもらい、担当の先生と話して、強引に退院させました。
そして、妻の友達に在宅介護での担当ケアマネジャーになってもらいました。

妻は、最大の敵ともなり、最大の理解者ともなる

もともと、嫁と姑(しゅうとめ)の関係が特に良かったわけではありませんでした。

 

妻からは「あなたの母親でしょ」、「在宅介護はあなたが決めたんでしょ」とはじめのうちは言われましたけれど、大変よく手伝ってくれました。

 

介護はいつ来るか分からないんです。
介護が始まるときは、これまでの夫婦の関係から始まります。しかし、介護が始まると、新しい夫婦の関係に変わる可能性が大きいと思います。

 

妻が手伝ってくれれば大変助かりますし、感謝の心も生まれます。
我が家は介護をはじめてからうまく協力関係になりましたけれど、逆の場合もあるかもしれないです。

介護の分担とサービス利用(初期)

介護は基本、私がやりました。父のときは、ターミナルケアの時期で、介護の期間の目途が立っていたため、ほとんど私がやりました。

 

母のときは最初、退院して帰ってきた直後の1週間、私は仕事を休んで、ずっと家にいました。
休み明けは、私は仕事をしていましたから、私がいないときは妻がごはんをあげていました。
朝ご飯を私が食べさせてから出かけて、昼は妻があげて、夕方、私が帰ってからは私がやっていました。

 

妻は訪問介護の仕事をしており、介護福祉士の資格も持っていましたから、そういうことは嫌がりませんでした。
最初のころの妻の負担は特に大きかったと思います。私が仕事で家にいませんでしたからね。

 

こんな状況が長く続くわけありませんから、まずデイサービスの利用からスタートしました。
デイサービスを週1日と、訪問介護を週2回入れて、ウィークデーのうち3日はデイサービスか訪問介護の日で、残りの日は私を中心に、家族・親族で看ました。
詳しくは覚えていませんけど、できる限り妻が一人で母を看ることがないような体制にしていたと思います。

 

朝夕の介護は自分がやりました。
朝は排便、着替え、モーニングケア、食事の介護をし、夜はその逆で、食事、薬、排便、着替えのケアをして、寝かせました。
今の勤務先でちょうど、勤務開始を10時に変更した時期でしたので、朝の介護をしてから事務所に行くのでも仕事に間に合いました。

 

妻が家にいるときは、手伝ってもらっていました。
特に排便のケアのとき、「来てね」と呼びました。
排便のケアは二人でやった方が断然、楽です。拭いている人と片付ける人と分担ができます。時間もかからないですし、精神的な負担も大きく減ります。

介護から離れる時間を確保することが重要

弟や、母の妹であるおばさんがサポーターにまわってくれましたから、大変助かりました。
弟は「こうしろ、ああしろ」と何も言いませんでしたので、とても感謝しています。相談してこうやりたいと言ったら「それでいいね」と言ってくれました。私が決めた方針には口出しせず、「来てくれ」とお願いすると必ず来てくれました。

 

大切なのは状況を説明して、こうしたいと伝える説明責任だと思います。「こうだから、こうしたいし、こうしてほしい」と。それはきちんと伝えていました。

 

私は趣味がテニスなんですけど、「テニスの試合があるから、介護に来てくれよ」と言うと来てくれました。

 

レスパイトと言いますよね、介護から離れる時間を確保することがとても重要だと思います。これができないと、状況によっては介護殺人などにもつながりかねないと思います。
レスパイトは絶対、必要です。
ただ、こういうサポーターをお願いするには、やはり自分が周囲に働きかける努力をしないと作れないと思います。

 

ショートステイはとても有効でした。
家の中に母がいると、同じ部屋でなくても気になりますからね。
介護を手伝ってくれる(自分と妻以外の)ほかの人がいても気になりますし、母が寝ていても見に行きます。
ショートステイは、本人が家にいませんから、介護のやりようがありません。介護から隔離されます。これがレスパイトと思います。
最初は月に1回、ショートステイを利用していました。

看護小規模多機能型居宅介護(略称「看多機」)を利用して

後半は看多機(注:看護小規模多機能型居宅介護の略称で、“介護の世界”では「かんたき」という呼び方をされます)を利用していましたから、毎週、週末に土曜日の一泊、翌週は金曜・土曜の連泊、また次の週は土曜日の一泊、その翌週は金曜・土曜の連泊と利用していました。

 

そのときはとても楽でした。
母はしゃべれなかったのですが、馴染めるかどうかを確認してから利用を始めました。嫌がりませんでした。
金曜日の朝、看多機に預けて、金曜日泊まって、土曜日も泊まって、日曜に帰ってきます。
これにはとても精神的・肉体的に救われました

 

水曜日は家に看多機の職員に来てもらって、月・火・木・金・土は看多機に母は通ってサービスを受けていました。加えて、土曜か、金曜・土曜は看多機のショートステイを利用させてもらいました。
日曜は原則、私が看ました。水曜の朝と晩も私が看ました。
これはずいぶんと楽でした。徐々にサービスを増やして、ここまで来ました

看取り

2018年5月に食事の最中にぐだっとなり、意識を失ってしまいました。医者も回復が難しいと言うことから、このまま家で看取ることに決めました。
点滴も止め、毎日洗顔と、口を湿らすことはしていました。ほどなくして亡くなりました。

 

 

(画像はIstockから購入)

編集スタッフより

「妻は、最大の敵ともなり、最大の理解者ともなる」

 

これはこの取材のために西山さんが持ってきてくれたレジュメに書いてあった言葉です。
印象的な言葉で、今回の介護体験談での見出しとしても採用しました。

 

西山さんと同じ立場で、妻から協力が得られるのかどうか、また、逆の立場で、協力ができるかどうか。
家族関係が良くなるか悪くなるかの分岐点と思います。
西山さんの事例からは、このような状況での説明責任の大切さがメッセージとして得られるのではないかと思います。

 

(インタビュー・文:星野 周也)

 

 

 

 

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