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世界最古の社会福祉住宅「フッゲライ」について

 

こんにちは。
本日は世界最古の社会福祉住宅と言われる、ドイツの「フッゲライ」についてご紹介します。

 

注:画像はiStockから

フッゲライとはー来年で設立500年ー

フッゲライは南ドイツのアウクスブルクにある経済的困窮者向けの集合住宅(67棟140~150戸)です。

 

フッゲライという名前はアウクスブルクの豪商「フッガー家」に由来しています。
フッゲライは、フッガー家で最大の繁栄を実現させたヤコブ・フッガー(1459~1525)が1521年に設立しました。
現役の社会福祉住宅として、現在もフッガー家の末裔により運営されており、来年設立500年を迎えます。

 

一部の住居は博物館として公開されています。
今もここで住人が暮らしておりますが、歴史的建造物として世界から見学者が来訪する観光地ともなっています。
入場料(博物館の見学を含む)は有料です。

フッゲライの現在の運営

家賃は年間0.88ユーロ!

家賃はなんと500年間変わらずで、(現在の単位で表現すると)年額で0.88ユーロ(100円強)ということです。

 

当時、この額は手工業者の2週間分の給与に相当しました。

入居の条件

入居条件はアウクスブルクの市民であること、経済的困窮者であること、毎日3回のお祈りを捧げること、カトリック教徒であることなどです。

 

入居希望者は多く、フッガー家の末裔が、自ら書類審査と面談により入居希望者を選考しています。

敷地内の仕事は住民が担う

興味深いと思うのは、敷地内の仕事は住民が担っているという点です。
例えば、観光客に対して入場券の販売を行うのはフッゲライの住民です。

 

仕事をして家賃も支払っているということで、(日本での)高齢者介護の仕事での理念として教えられる“自立支援”の精神に通じるものを感じます。

1つの町の様相

また、8つの通りと7つの門をもつ広大な敷地(注:ある記事によれば敷地面積は約1.7ヘクタール)のなかに、かつては病院や学校まで備え、1つの町の様相を呈していたという点も興味深いです。
現在は高齢者が住民ですが、19世紀までは住民の大部分を若い世代が占めていたそうです。

 

1つの町の様相というキーワードからは、かつて、カフェストでも取り上げた、オランダの認知症村「ホフヴェイ」が思い出されます。(注:「ホフヴェイ」については文末の関連記事を参照してください)

フッゲライの設立の背景

ヤコブ・フッガーはなぜ、フッゲライを設立したのでしょうか。当時の状況を見てみましょう。

フッガー家の巨富への批判

当時、ヤコブ・フッガーが蓄積していた莫大な富に対して批判があがっていました。
ヤコブは神聖ローマ帝国皇帝への選任を実質的に決定できる程の政治力を持っていました。皇帝を選ぶ選挙で勝利するために賄賂(わいろ)を支払うことが慣習化されていましたが、ヤコブは巨額の選挙運動資金の貸付を行うことで神聖ローマ皇帝の選定に強い影響力を持てたのです。

ローマ教会への批判

当時、ローマ教会への批判もありました。教会が財政をまかなうために免罪符を発行していました。免罪符は、購入することで犯した罪に対する償いをしなくてもいいとする証明書のことです。
「お金で罪を償える」という考え方に対して、「信仰によってのみ神に救われる」と主張したのがマルティン・ルターです。ルターは1517年に「95か条の論題」を発表し、免罪符のあり方を教会に問いただしました。宗教改革と言われる動きですね。
ヤコブ・フッガーはこの免罪符の販売へも関与しており、このことも批判の対象でした。

ルターによるフッガー家への批判

ルターの批判の矛先はフッガー家にも向かいました。ルターによる1520年の文書(「ドイツ国民のキリスト教貴族に告ぐーキリスト教の地位向上について」)には次のように書かれていたそうです。

 

一代で王に等しいあれほど巨額の財産を築くことがどうして可能であり、神の教えと法に背かないのか。私にはその計算が分からない。100グルデンにより一年で20グルデンを儲け、1グルデンで同額さへ稼ぐ方法が私には分からない。しかもその方法は農作や牧畜によらないのである。神の喜び給うことは農業には精出し、商業は控えることである…そして聖書に従い土地を耕し、アダムが神に命じられたように、“額に汗して汝のパンを得よ”を実行することである。まだ多く土地が開墾されておらず、耕作されてないのだ。

出典:古森賢『フッガー家の公益活動と経営戦略』, 横浜経営研究 第33巻第4号, pp.23-40

 

ルターによるこの発信は1520年で、フッゲライの設立年は1521年です。
フッゲライと世界史で習う宗教改革とのつながりが見えてきますね。

これらの批判への対応として

これらの批判への対応としてヤコブはフッゲライを設立しました。資産家には相応の社会的役割や責任が求められるということでしょうか。
もっとも、ヤコブと2人の兄弟の3人の莫大な合計資本からすると、1.2%程度のわずかな投資に過ぎなかったようですが…。

 

そのようにして設立されたフッゲライが現在まで続き、来年設立500年を迎えるというわけです。

 

どこか“歴史探訪”といった趣のある記事になってしまいました…。

(終)

 

(文:星野 周也)

 

 

 

 

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