こんにちは。
認知症Cafést編集スタッフのSです。
ユマニチュードの1つの柱「立つ」こと
認知症ケアの技法「ユマニチュード」の1つの柱が「立つ」ことです。
ユマニチュードの2人の創始者(イブ・ジネストとロゼット・マレスコッティ)は体育学の教師で、「人間は死ぬまで立って生きることができる」と提唱しました。
立位介助
ユマニチュードを学習すれば「立位介助」という言葉を耳にします。
座った姿勢から立つことを支える介助、立った姿勢で歩くことを支える介助などを意味しています。
優しく付き添っているだけでは、よいケアとは言えない
本田美和子、イブ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティの共著である『ユマニチュード入門』では
食堂まで歩いていけるのなら、それを妨げないことが大切です。たとえば、リハビリセンターまで歩いていける人なのに、「はい、リハビリの時間ですよ。車いすに乗ってください」と車いすを準備してしまっては、自力での移動の機会を奪ってしまうことになります
と書かれています。
ここにあるのは本人の歩く力を活かすという視点であり、日本で教わる自立支援の考え方と同じです。
優しく付き添っているだけでは、よいケアとは言えません
とも同書(『ユマニチュード入門』)では書かれています。
介護の仕事
「優しく付き添う」ことが介護の仕事なのかと問われていると捉えてもよいでしょう。
本人の能力を評価して、本人のできることを活かすことで、本人の暮らしの質を支えているという実践を積み上げ、この仕事のありかたを理解してもらうことは介護の仕事の社会的評価を高めるうえでも重要なことだと考えます。
日本で重要性が説かれてきた「座る」こと
「ユマニチュード」の議論では「立つ」ことの重要性が説かれます。
一方、この議論が日本で広まる前に、すでに、日本でも近いことを聞いてきたと思います。
リハビリテーション医療・介護の第一人者である太田仁史先生が「座る」ことの重要性を説かれてきました。
守るも攻めるもこの一線
太田仁史先生は高齢者の支援に関して「座ることができるかどうか」の境界線を「守るも攻めるもこの一線」と言ってきました。
背もたれなしで座ることを端座位(たんざい)と言います。
太田先生はこの座る能力をできるだけ維持して守っていくことの重要性を伝えてこられました。
端座位がとれれば、二人介助でトイレ利用が可能です。一人でつかまり立ちができるようになれば、介助は一人ですみます。つかまらずに立てるようになれば、介助は利用者がバランスを崩さないよう、見守るだけで大丈夫。利用者が自立に近づくほど、介護の仕事量は少なくてすむ。これが「介護予防」の考え方です。「介護予防」とは要介護状態にならないための予防だけでなく、たとえ介護が必要であっても、それ以上の衰退を食い止めるケアを含みます。「介護予防」の試みを続けることで、利用者が死の直前まで人間らしく過ごせたとすれば、それはその施設で働くスタッフ全員で出した成果なのです。
出典:介護×リハビリのチームアプローチで「人間らしさ」を取り戻す自立排泄支援を(著者は太田仁史氏)|排泄ケアナビ
この引用した文章からは、太田先生が座る能力をできるだけ維持する取り組みを、人間らしく過ごしていただくための取り組みと考えていることが確認できます。
からだを通して心にふれる。心が動けばからだが動く
「からだを通して心にふれる。心が動けばからだが動く」は太田先生の言葉です。
からだと心のつながりを示した言葉であり、こちらの気持ちも軽やかになります。
「ユマニチュード」の議論での思想―「生きている者は動く。動くものは生きる」-と共鳴していると思います。
終わりにートイレ介助の場面ー
「立つ」ことと「座る」ことを活かす介護の場面と言えば、トイレ介助の場面です。
車いすからトイレへ移っていただくときに、「立つ」ことと「座る」ことを使います。
まず、呼吸を整えて、手すりにつかまってもらったうえで、介助者と息を合わせて、立ってもらいます。立っている間に、ズボンを下ろさせていただき、体を回転して、トイレに座ってもらいます。
今、片方の手が欠損(肘は残っていたが肘の少し先から手首、指まで欠損)していて、耳が遠かったある方のことを思い出しています。
健常者にとっては何でもないようなことかもしれませんが、その方にとっては車いすからトイレの座面に移ることはちょっとしたアドベンチャーでした。
目と目を合わせてタイミングをはかりつつ、「1、2、3」と声を合わせて、使える側の手で手すりを持って、立ち上がっていただくと、その方は手が欠損している側の肘を手すりに絡ませ、肘で抱きしめるように手すりを持ちます。立つのも必死です。重心が少しずつ前のほうにきて、立位の姿勢が安定したことを確認してから、ご本人の体を手で触れて支持しつつ、ズボンを下ろして、声と手で体を回転することを促して、座ってもらいます。
トイレに座ると、お互いほっと一息して、その方も私もいつも笑顔になりました。それは毎回、同じでした。
タイミングを見計らい、息を合わせて立ち上がるところから、トイレに座って、一緒に笑うまでが一連の介護のプロセスでした。
「からだを通して心にふれる。心が動けばからだが動く」―この名言の通りの場面であったと思います。
この一連の動きを見れば、「立つ」だけでなく、「ユマニチュード」の残りの柱である「見る」「話す」「触れる」も駆使していることも確認できるでしょう。
「ユマニチュード」の4つの柱-「見る」「話す」「触れる」「立つ」-を総動員した場面になります。
介護の醍醐味を感じていただければと思います。
(終)
<参考>(本文で紹介したもの以外)
一條 智康, ユマニチュード®を学ぶ, 心身医学 2017 年 57 巻 11 号 pp. 1143-1150
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・シリーズ「ユマニチュード」第1回~注目のフランス発認知症ケア~
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