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ラグビーワールドカップ日本チームに見た、認知症が日本社会にもたらす可能性

Large group of sportsmen playing rugby match on a stadium.

 

こんにちは。編集スタッフのマツです。

ラグビーのワールドカップ、日本チームの好調が報じられていますね。
開催国だからという強みもあるのでしょうが、世界ランクで上位のチームに勝利する日本チームにはやはり感動します。

 

ラグビーの多様性

私はラグビーに明るくないのですが、毎日の報道を見ていて、私のように「日本チームに外国の方が多く参加しているのはなぜ?」と感じた方も多くいるのではないでしょうか。
調べてみると、今回の日本代表31名のうち、15名が外国の方でした()。実にほぼ半数が外国の方ということになります。
そして、この数字は他の国と比較しても決して高いわけではありませんでした。

※15名の中には日本に帰化した8名を含みます。

 

本論からは逸脱するため詳細は割愛しますが、その理由は、他のスポーツではその国の国籍を持つ人を代表にするのに対して、ラグビーではその国に居住する人を代表にするという、考え方の違いからきているようです。
いずれにせよ、生まれも文化も異なる人たちがチームになって同じ目標に向かって突き進む姿は、これからそう遠くない日本社会のあるべき姿の一つなのではないでしょうか。

多様性とイノベーション

我々はとかく、自分たちの習慣や文化に疑問を持たないものです。「そういうものだから」「みんなそうしているから」というだけで、漫然と続けていることも多いのではないでしょうか。
しかしそこに、海外の方のような新しい習慣や文化を持つ人が入ると、その漫然とした習慣や文化に疑問を投げかけてくれるようになります。その結果、不必要な習慣を見直したり、それまでには思いもつかなかったような新しい方法を発見する(=イノベーション)ことにもつながります。

 

前回の東京オリンピック・パラリンピックのレガシーとして、その後の我々の暮らしにピクトグラム(主に鉄道駅や空港などの公共空間で使用される絵文字で、非常口のサインなど言葉ではなく視覚的な図で表現したもの)が根付いたこともこれに当てはまります。外国の方の話ではありませんが、ウォシュレット(シャワー式便座)が発明されたきっかけは、障害のために自分で用が足せない人の「自分で用を足したい」という思いからでした。
上述のラグビーでも、戦術や練習方法に磨きがかかったことだろうことは想像に難くありません。

社会の多様性と認知症の可能性

今、認知症に対する社会のとらえ方が大きく変わりつつあります。今後の我々の生活の中で、認知症とともに歩まれる方(認知症の当事者)がもっと身近な存在になります。
「他人事だ」、「対応が面倒だ」と感じられる方もいらっしゃるかもしれません。しかし上述のように、ぜひこれを「好機」ととらえてみてほしいのです。

 

いろいろな習慣や文化を持つ人として新たに認知症とともに歩まれる方が加わったととらえれば、我々の生活が必ず豊かなものになる。認知症とともに歩まれる方々は、そのきっかけをくれる人たちということになるわけです。

 

 

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