病院で記憶力が弱まった高齢者の患者を何とお呼びするか?―敬語の文化を介護の現場でも―

2019/09/18
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こんにちは。認知症Cafést 編集スタッフの星野 周也です。

過去に集めた新聞のスクラップを見返していたら…

過去に集めた新聞のスクラップを見返しておりましたら、
2006年(平成18年)1028日(土)の朝日新聞の土曜日版(赤のbe5面)に掲載されていた、医師の日野原重明さん(2017年ご逝去)のエッセイが目に留まりました。
「95歳・私の証あるがまゝ行く 日野原重明」というコーナーで、タイトルは「病院内での敬語の使い方」となっています。

日野原重明さんのエッセイから

日野原さんによれば、日本の病院では受診者を「患者」と呼び捨ててきた習慣があったそうです。そして、

米国には早くから患者は「お客さん」として丁寧に対応すべきだという考え方があり、「Patient(患者)」のほかに「Customer(顧客)」という言い方が用いられていました。最近、ようやく日本にも患者を大切な顧客として接するビジネス的センスが広がってきました。

 

と言われています。

 

ご自身が院長などとして関わってこられた聖路加国際病院では、患者さんを「〇〇さん」、「〇〇様」と呼ぶ指導をしてきたとのこと。

 

そのうえで、次のように言われています。

名前をスピーカーで呼ばれると困るという方も多いので、番号で呼ぶこともあります。しかし、記憶力が弱まった高齢者たちは、番号を聞いてもピンとこない場合や、拡声機によるアナウンスの声もよく聞き取れない場合もあるので、係が待合室のいす近くまで行って順番を知らせるのがよいと思います。

 

 

「記憶力が弱まった高齢者たち」への対応の記述はぐっとくるところです。記憶力が弱まった高齢者は認知症の高齢者と言い換えることができるでしょう。

 

認知症の方であれば、呼ぶのではなく、近くまで行き、「一緒に行きましょう」とお声がけして、一緒に行くのがしっくりきます。

敬語の指針

日野原さんのこのエッセイはもともと、当時、敬語の指針案が検討されていた社会状況を受けてのものでした。
このエッセイが書かれた翌年の平成19年(2007年)2月に敬語の指針(←リンクあり)がまとめられました。

 

どんな指針の中で私たちは社会生活を営んでいるのでしょうか?
この機会に、この敬語の指針にある第一章「敬語についての考え方」の「第1 基本的な認識」の項に目を通してみると、新鮮な思いが致しました。自分たちが当たり前に使っている言葉を分析的に振り返ることはなかなか出来ないことですので。

 

以下、敬語の指針からの引用です。

身分や役割の固定的な階層を基盤とした、かつての社会にあっては、敬語も固定的で絶対的な枠組みで用いられた。

これに対して、現代社会は、基本的に平等な人格を互いに認め合う社会である。敬語も固定的・絶対的なものとしてではなく,人と人とが相互に尊重し合う人間関係を反映した相互的・相対的なものとして定着してきている。

 

年齢の違い、経験・知識・能力などの違い、あるいは社会集団の中での立場の違い(例えば、先輩と後輩、教える側と教えられる側、恩恵や利益を与える側と受ける側など)や階層(例えば、会社の中の職階)などが存在することを前提とした上で、さらに、これらに基づいた様々な「上下」の関係が意識されるものであることを前提とした上で、人と人が互いに認め合い、互いに尊重し合う関係に立つことを、ここでは「相互尊重」と呼んでいる。「相互尊重」とは、年上の人、先輩、上司、教えてくれる人などに対して、年下の人、後輩、部下、教えてもらう側の人が、敬いやへりくだりの気持ちを持つ場合だけでなく、逆に、年下の人に対して年上の人が、後輩に対して先輩が、部下に対して上司が、教えてもらう側に対して教える側が、それぞれ、相手の立場や状況を理解したり配慮したりする場合をも合わせたとらえ方である。

 

つまり、この指針では、敬語表現により、様々な「上下」の関係を意識しながら、相互尊重の精神を表していると述べられており、なんとも趣深いことと思います。

敬語の文化を介護の現場でも

敬語表現で見られる、相手を立てることや自分がへりくだることを通して相手を敬うというのは、人と人の間で上か下かが問題となるからでしょう。
「上から目線」というのは嫌われることであり、自分もまた相手からそうされて嫌な思いをすることです。

 

これらは当たり前のことのようですが、病や障害を持った方、心身の機能が弱まった方との関係では、当たり前ではなくなってしまっていると思われます。

 

介護現場で勤務していたときに、まわりの介護職が高齢者の方々に失礼な言葉遣いをしている場面を目撃してきましたし、私自身の言動を振り返っても、相手のペースに合わせきれずにイライラしてしまい言葉が荒くなるなどジレンマを経験してきました。

 

敬語の指針に基づき、考えを深めていくならば、「年上だから敬語」、「お客様(顧客)だから敬語」と固定的・絶対的なものとして敬語を捉える視点のみならず、人と人として互いに認め合い、尊重し合う「相互尊重」の表現として捉える視点から、言葉遣いを振り返ってみることが有効ではないかと思います。

 

「できること」(心身の機能など)に違いがみられるとしても、人と人として関わっていれば発生しうるであろう相手への「自然な共感」や「自然な尊敬」があればこその「自然な敬語」が問われています。このとき、結果側の「自然な敬語」のみならず、要因側の「人と人として関わりができているか?」も問われていると言えるでしょう。
これらの考察を下地に敬語の文化が介護現場に行き渡ることを望みます。

 

 

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