保護から協力へ

2024/04/07
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お久しぶりです。編集者マツです。
今回は、この半年ほどの間に私が耳にした話の中で、心に引っかかったものをいくつかご紹介します。

エピソード1:離れて暮らす90代の父親のケアをする70代知人女性の話

最近までとてもお元気だった父親が転倒・入院したことをきっかけに、関東からしばしば九州の実家を訪れるようになった70代の知人。
病院や介護施設の手続きは家族がそばにいることを前提としていて、父親には判断力があり、支払い能力も問題ないが、病院や介護施設はどんな小さなことでも判断を求めて遠方の知人に連絡をするそうです。

エピソード2:一人暮らしをしている全盲の40代知人男性の話

郵送物に宛名や差出人を書くことができないため、郵便局での代筆を求めても、常に断られるそうです。
自分で書けないことを伝えても、「ご家族にお願いしてください」と言われるのが常だそうです。

エピソード3:地方都市で人気の焼き肉店を経営する70代女性経営者の話

店舗兼自宅にWi-Fiを設置したいと思い、インターネット・プロバイダーに連絡しても、65歳以上の高齢者は単独で契約できないため、65歳未満の同行者が必要だと言われたそうです。
自分で契約したいと伝えても断られてしまうそうです。

3つのエピソードに共通する課題は?

これらのエピソードから見えてくるのは、社会的に配慮が必要な人たちへの理解不足と、彼らに対する過保護な固定観念ではないかと、私は感じました。
課題をまとめると、以下の3点になるかと思います。

 

  • 企業や行政がサービス提供や政策立案において、社会的に配慮が必要な人たちの実態が十分理解できておらず、誰かに守られているという固定観念(健康な家族と同居している、高齢者・障害者福祉施設に入居しているなど)から抜け出せていないこと
  • 配慮=全面的な保護と思い込んでしまい、個人個人を観察し、適切な配慮について考えることを社会が放棄してしまっていること
  • その結果として、個人の判断力や尊厳を十分に尊重しきれていないこと

 

配慮とは全面的な保護を意味するのではなく、個人の状況を考慮し、その人に適した支援を行うことを指します。
個人が自己決定を行い、自立した生活を送ることができるように、社会全体での意識改革が必要なのではないでしょうか。

また、高齢者や障害を持つ人々の判断力や尊厳を尊重するためには、彼らに対するサービスや支援が、一方的な保護ではなく、対等な協力関係に基づく必要があります。これは、個人が社会の一員として尊重され、その能力を最大限に活用できるようにするために不可欠です。

まとめ~保護から協力へ

結局のところ大切なのは、高齢者や障害を持つ人々を社会の保護対象としてではなく、自立した個人として尊重し、彼らの声を聞き、必要な支援を提供することだと感じています。
これにより、社会的に配慮が必要な人たちだけでなく、全ての人が尊厳を持って生活できる社会が実現すると信じています。

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