外国人労働者受け入れと認知症

2019/04/12
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こんにちは。
認知症Cafest-online 編集スタッフのマツです。

 

新元号への切り替えも目前ですが、今月1日からもう1つ、社会にとって大きな制度の変更がありました。
それは単純労働分野における外国人労働者の受け入れです。
建設、介護、宿泊といった業種を中心に、私たちの生活の中に外国から来られた方がより一層増えることになります。
認知症との関連では、もちろん介護の現場に外国の方がスタッフとして参加されることになるわけですが、本記事ではまた別の視点からこの問題について取り上げたいと思います。

外国人労働者を取り巻く諸問題

今までにも外国の方は留学生のアルバイトの他、外国人技能実習生という制度のもと、日本国内で働いていました(注:昨年6月の時点で約28万人)。

しかし技能実習生にとって、日本は本当に住みやすい社会だったのでしょうか。
少し検索しただけでも、以下のような問題がみつかりました。おそらくこれらは、彼らが直面している問題の本の一握りなのでしょう。

  • 最低賃金を大幅に下回る低賃金や、賃金の未払い
  • 労基法を無視した長時間労働
  • 実習生の失踪、および政府によるその調査のずさんさ
  • 都合の悪い実習生に対する強制帰国

本論からは外れるため個別の詳細な解説は省きますが、参考記事内の以下の一文がすべてを物語っています。

「強制帰国」という不正は、技能実習生の権利を無理やり奪い、また日本社会が、外国人実習生をただの安い労働力としてしか扱わず、一人の人間として、生活者として受け入れていないことの象徴だろう。

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原因の一端は日本文化に

このような問題はなぜ起きるのでしょうか。
ここから先は、外国人と同じく日本社会ではマイノリティーである障碍者としての筆者の見解です。

このような問題の背景には低賃金の労働力なしでは立ち行かない産業界の構造的な課題もあるのでしょうが、以下のような日本文化の特徴が影響しているとも考えられます。

 

協調性・同質性を重視し、共有できないものを排除する

日本は言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性などについて、高いレベルで共有していることが前提のハイコンテクスト文化であり、阿吽の呼吸や察することが好まれます。できて当然・わかって当然ということが日常的であり、TVなどで「あるある」というのがもてはやされるのも、それだけ共通の体験や知識があることが前提になっているからです。
外国人などのマイノリティーとはその共有がしづらいため、どうしても居心地悪い、面倒くさい、うざいというように感じてしまい、存在を遠ざけてしまったり、同じ人として見られなくなっているのでしょう。

 

身分や上下関係を重視し、自分より下の存在を作ることで自分の位置を確認し、安心感を得る

自分が神からどう評価されているか、神の意向に沿っているかという絶対的な価値観ではなく、日本では他人からどう評価されているかが重視され、他人との比較の中で自分の意思決定をする相対的な価値観が重んじられてきました。
そして身分や上下関係の中で、自分より低い位置にいる人に目を向けることで、「あいつよりはまし」というように自分の位置を確認してきました。村八分や江戸時代のエタ・非人の制度があったのも、このような状態の現れと言えます。

上記のようにマイノリティーとは高いレベルで価値観を共有することが難しく、知らないこと・できないことが多いマイノリティーは「ダメなやつ」となり、そのようなマイノリティーを下に見下すことで「自分はえらい、大丈夫だ」というように安心感を得ているという側面があるのでしょう。

 

恥を嫌い、失敗や間違いなどのマイナスな面を許容できない

上記と関連しますが、知ってて当然・できて当然の文化の中では、できないことや知らないことは恥とされ、さげすみの対象となります。
できないことや失敗の多いマイノリティーに対しては、失敗という行為だけでなく、やがてその存在自体が恥となり、許容されないものとしてとらえられてしまっていると思います。

 

マイノリティーが暮らしやすい社会とは

さて、ここまで筆者は外国人労働者が直面している問題を取り上げ、その背景には日本文化が持つ特徴が影響しているかもしれないとお伝えしてきました。
これは日本文化がマイノリティーに対するときに生じてしまう問題ですから、外国人労働者以外のマイノリティー~障碍者や認知症とともに生きる方々(認知症当事者)~も、当然同じ問題に直面しているわけです。
そういう意味で、もし日本が外国人労働者にとって暮らしやすい社会になれば、認知症当事者の方々にとっても当然暮らしやすい社会となるでしょう。

では外国人労働者や障碍者、認知症当事者などのマイノリティーにとって暮らしやすい社会とは、どんな社会なのでしょうか。

 

人それぞれの違いを尊重する社会

言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性などがそれぞれ違うことが前提のローコンテクスト社会では、言葉を尽くして説明すること、相手がわかるまで伝えることが求められます。
これは一見とても面倒に思われがちですが、各個人の特徴や違いが重視され、違って当然・違っててもいいというムードが生まれます。
今の日本の社会のように、無理をして全体の空気を読んだり、言いたいことを我慢したり、わからないのにわかったふりをする必要がなくなります。

 

知らないこと・できないことが前提となる社会

上記とも関連しますが、ローコンテクスト文化の社会では個人の違いや特徴にフォーカスが当たり、共通の価値観や知識などがないことが前提となります。
そのため、説明なしに当初から求められるレベルは低くてもかまわなくなり、「なんでこんな簡単なことができないんだ」と言われることがなくなります。

できないこと・知らないことにフォーカスがあたるのではなく、できること・知ってることにフォーカスが当たるため、非常にポジティブな社会であるといえるでしょう。

認知症の方々も、全てのことができないわけではありません。できないこともあり、その程度や内容も日々変わるでしょうが、まだできることは自分でしたい、誰かの役に立ちたいという思いがあります。
そのような思いにフォーカスし、社会の一員として暮らしていける社会は、人的な意味でとてもサスティナブルな社会だといえます。

 

まとめ~外国人労働者の受け入れがもたらす可能性~

いかがでしたでしょうか。
今月1日からの制度変更を受けて、外国人労働者の数は確実に増加します。また高齢化の進行とともに、認知症の患者数も確実に増加します。
あえてマイノリティーの視点で書きますが、マジョリティーの皆さんの好むと好まざるとにかかわらず、これからの日本ではこのような大きな社会のパラダイムシフトが必要不可欠です。

そしてこの変化はマイノリティーのためのものではなく、マジョリティーの人たちにとっても大きなメリットを齎します。ある程度の失敗や間違いが許容され、だれかの顔色を窺わなくてもいい社会というのは、きっとマジョリティーの皆さんにとっても暮らしやすい社会のはずです。

そしてそのような社会というのは、認知症当事者にとっても活躍の可能性がある社会です。
外国人労働者の受け入れは、そのような社会への変化に向けた大きな1歩になることでしょう。

 

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