失語症でも歌は歌うー言葉は左脳が司り、音楽は右脳が司るー

2021/03/22
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こんにちは、認知症Cafést編集スタッフのSです。

 

先月、“息子介護”インタビューをお届けしました。いかがでしたでしょうか。

 

“息子介護”インタビュー「在宅で親の介護をしてみて感じたこと」(第1回)

“息子介護”インタビュー「在宅で親の介護をしてみて感じたこと」(第2回)

今一度、心に留めておいていただきたいこと

第2回で書いた内容になりますが、親が失語ゆえに「もう一度話して欲しい」と考え、親に関わる介護やリハビリなどの専門職に働きかけ、自分自身でも積極的に口腔ケアに取り組まれたという話の骨子の1つを今一度、心に留めておいていただけますでしょうか。

足を止めてみたい点

第2回の記事ではさらりと記すに留めましたが、以下の息子の言葉は、足を止めて振り返りたい場所です。

 

でも、亡くなってから、看多機の職員が家に来て、「歌を歌っていましたよ」と教えてくれました。
その場面はビデオにも撮ってあって、確かに母が歌っていましたね。発語をしていました。

 

インタビューを担当していましたが、話を聞きながら
「歌っていたんだ」とはっとしました。
親にもう一度話してもらいたいという願いはかなわなかったという語りでしたので。

失語症の人が歌を歌うことは理解可能なこと

はっとはしましたが、失語症の人が歌を歌うということは、介護やリハビリのことを勉強や情報収集してきたものには理解可能なことです。
会話ではつじつまが合わないやりとりになる認知症の人が美声で歌を歌ってくれる場面であれば、多くの介護職が実践の中で経験していることでしょう。

失語症の人が歌を歌える理由

失語症の人が歌を歌うことについては、ある小文を思い出しました。小文ですが名文と思います。ずっと心に残っていますので。
そこになぜ、歌を歌えるかについての説明もあるので紹介します。

 

Bricolage(ブリコラージュ)という雑誌の217号(2013年5月5日発行)での三好春樹さんの小文です。三好春樹さんはこの雑誌の責任編集者です。
そして、この小文は言語聴覚士の遠藤尚志さんがこの年の4月に逝去されたことを受けての寄稿です。

 

私が特養ホームの4年半の介護の仕事を経て、PT養成校に入って最も驚き興奮したのは、医学、リハビリの知識、技術が介護にとって宝の山だったことである。

 

一言もしゃべれない失語症者が、誕生会でマイクを持つと何番まででも歌い続けることの不思議さは、学校に入るとすぐに解けた。言葉を司る中枢は左脳、音楽は右脳だから、失語症がいくら重くてもメロディーは出てきて、それにつられて言葉も出るのだ。

 

従いまして、失語症の人が歌を歌う理由は、言葉と音楽では脳の違う部分が働いているという点にあります。言葉を司る脳の部分が障害を負っていても、音楽を司る脳の部分が障害を負っていなければ、言語表現は難しくとも、“音楽で言葉を発する”ことは可能ということです。

 

注:筆者が2021年3月21日に撮影。8年前の雑誌ですが、保管してました。

介護とはいかなる仕事か?ー医療知識の介護への応用、創造ー

以上は言ってみれば知識編ですが、三好春樹さんの小文は、知識を介護にどう応用するかについても触れています。

 

この小文は『二人は若い』という曲の歌詞から始まります。
♪あなたと呼べば あなたと答える
やまのこだまの 楽しさよ

 

言語聴覚士の遠藤尚志さんによる、失語症のグループ訓練の場面で、ここまでをみんなで歌うのだそうです。

 

このあとに、付き添いの奥さんが、隣にいる失語症の夫に「あなた」と呼びかけると、夫が「なーんだい」と。

 

つまり、先に紹介した歌詞は、
あなた なーんだい

と続きます。二人が掛け合いをしながら歌う歌なのですね。

 

客観的には、グループ訓練の一環で、失語症の夫とその奥さんが歌の掛け合いをしている場面です。しかし、歌での訓練という状況を離れれば、奥さんからの「あなた」との呼びかけに、「なーんだい」と失語症であるはずの夫が応答しているという場面でもあります。
疑似場面とでも言うのでしょうか。

 

脳卒中で右マヒになった夫は一度も返事をしてくれなかった。失語症だからしかたがないと妻は頭ではわかっているのだがさみしくてしょうがない。一度だけでもかつてのような返事を聞きたい、というのが妻の願いなのだ。

 

そこで遠藤先生が取り入れたのは『二人は若い』である。夫の返事があったからといって治ったわけではない。でもこれでまた妻は介護をしていこうという前向きの気持ちをもてる。

 

三好春樹さんはこれは医療知識の介護への応用というよりも、創造だと言っていいと述べています。

 

遠藤尚志さんの言語聴覚士としての実践も、三好春樹さんによる解釈も深いと思います。自分たちが担っている介護の仕事はこういうものではなければならないのではないかという気持ちにさせられます。

 

インタビューでの発言に対しては少し悔しくも思った

インタビューでの発言には悔しくも思ったものです。

 

・失語症の母親に「もう一度話してもらいたい」と思ったが、かなわなかった。
・しかし、母親が亡くなってから、看多機の職員が家に来て、歌を歌っていたと教えてくれた。

 

そういうことを亡くなってから言うのかなと思うわけです。
これは介護の仕事をしてきた立場での発言です。

 

息子さまの「母親にもう1度話をしてほしい」という切実な願いを知っていたなら、お母様が声を発していた状況を分かち合いたいと考えるのではないかと思うのですね。
看多機の職員に話すことと歌うことは違うという分別が働いていたのか否かは分かりません。しかし、そういう分別(知識)があったとしても、チャンスと考えて、誠実に状況をお伝えをするべきだったのではないかと思います。

 

何のチャンスでしょうか。
息子さまの気持ちが動く可能性が高いですが、感情を分かち合うチャンスと思います。プラスの感情ばかりではないかもしれませんが、それは、職員にとっても、息子さまにとっても大きな経験だと思います。

 

三好春樹さんの言葉を再び引用しましょう。夫の返事があったからといって治ったわけではない。でもこれでまた妻は介護をしていこうという前向きの気持ちをもてる。

 

介護の仕事をしてきた立場で言うと、家族にもいろいろな方がいらっしゃいますから、必ずしもそうはならないかもしれません。それでも、家族に前向きの気持ちをもってもらうことや明るい気持ちになってもらうことは目指したいことだと思います。

(終)

 

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