団塊の世代が学生だった頃

2022/01/31
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こんにちは。
認知症Cafést編集スタッフのSです。

団塊の世代

1947~49年生まれの団塊の世代が今年から、75歳以上の後期高齢者になります。
1947~49年の出生数は毎年260万人を超えていました。

 

毎日新聞の老いる団塊の世代/下(2022/1/26、有料記事)という記事で、1948年生まれの浅野史郎氏(元宮城県知事)は

 

私の学年は、団塊の世代の最年長にあたる。小学校の朝礼で校庭に並ぶと、私たちの列が一つ上の学年の倍ほどになった。教師には「あなたたちは人数が多いから、進学も就職も激しい競争にさらされる」と、繰り返し言われた。 

 

と語っています。

学生運動の世代

 

この記事で、浅野氏は「学生運動経験などで反権威志向や正義感の強い私たちの世代」という言い方をしています。
この世代が20歳前後の頃である19681969年は学生運動が盛り上がっていた時期です。
当時の大学進学率は約二割でした。
社会学者の小熊英二さんは学生運動に関わっていたのは団塊の世代のうち4%程度と推測しています(注1)。

 

決して多数派ではなかったのですが、学生が東大安田講堂を占拠したりしていた背景には何があったのでしょうか?
当時、東大の学生として運動に関わっていた社会学者の橋爪大三郎さんはこう言っています。

 

僕らは戦後という時代の“くだらなさ”に気付いてしまったのです。戦争から帰ってきた親世代には、『戦後は良い時代である』という共通認識があり、ひたすら経済繁栄を目指しました。しかし、その後ろにあったのは冷戦構造であり、アメリカによるがんじがらめの支配です。小さな日本がジタバタしたところで、先が見えている。親世代や知識人たちがその点に目を向けず、安穏としているなか、目を背けずに、『戦後などろくなものではない』と声を上げたのが、学生たちだったのです

出典:三島由紀夫vs東大全共闘 今の時代だからこそ胸に響く理由|NEWSポストセブン 2020.03.24

 

戦後民主主義の欺瞞

当時の学生運動では「欺瞞(ぎまん)」という言葉がよく使われました。
平たく言えば「うそ」ということです。
社会学者の小熊英二さんは当時の学生の心情を次のように分析しています(注2)。

 

小学校のころは、平和が大切だ、みんな自由で平等になるのが民主主義だ、と教えられてきた。ところが受験戦争というのは、他人を蹴落とすことではないか。教師や大人は平和と民主主義は大切だと言いながら、どうして他人を蹴落とす「受験戦争」を自分たちに強いるのか。うそばっかりだ…

 

大学に入ったら、真理の探究の府どころか、たくさん学生をとっていいかげんな講義を聞かせて、授業料ばかり値上げする。そして卒業したら、サラリーマンという企業の歯車として社会に送りだすだけ。これでは資本主義の就職予備校じゃないか、うそばっかりだ

 

当時は知らないですが、“リアリティ”にあふれる記述と感じます。
橋爪さんの言葉と合わせて、小熊さんの分析を通して、当時の学生たちの底流にあった思い(=団塊の世代が学生だった頃の思い)が垣間見えるようです。

戦後民主主義の下で?

団塊世代は戦後民主主義の下で生まれ育った最初の世代です。
1968年からさらに十数年後に生まれた私はと言えば、引き続き、戦後民主主義の下で生まれ育ったと言えるであろうと思います。

 

個人的見解にはなりますが、介護や福祉の世界に身を置いていると、「尊厳」という考え方は日本国憲法とのつながりを感じます。
それが戦後民主主義かどうかは厳密にはわからないですが…。
歴史的に獲得されてきたものという重みを感じます。
何だか脱線してしまったでしょうか(笑)。

終わりに

団塊の世代が学生だった頃のお話はいかがだったでしょうか。
こんな時代を生きてきたんだなぁ、こんなことを考えていたんだぁと知ると、素直に尊敬の念が芽生えます。
決して遠い過去の話ではなくて、自分も聞いてきたことだ、自分の底にも流れているものだと思います。
世代間対立という言葉も耳にしますが、“対立”ではなく“ともに”という姿勢でと思います。
恐れ多いことではありますが、後期高齢者になられる団塊の世代の皆様とともにという思いで、今の時代の課題を乗り越えていきたいと思います。

(終)

 

 

 

 

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