父の死に際して~認知症について考えたこと~

2020/03/13
  • Twitter
  • Facebook
  • LINE

 

こんにちは。認知症Cafést Online編集スタッフのマツです。

父の葬儀で

以前の記事でも取り上げたことがありましたが、私の父は一昨年の夏に認知症と診断され、療養型の病院に入院していました。 その父が先月、肺炎のため他界しました。76歳の誕生日を迎えたばかりでした。

 

正直、それほど深い悲しみや感情の揺らぎはありませんでした。バタバタとした葬儀の中で感じたのも、親類縁者の中で涙を流していないのが私一人だけだということに気づき、きっと私は根が冷たいんだろうなと自嘲したということくらいでした(勿論、遠方から駆けつけてくれた親類に対する感謝の気持ちは強く感じていましたが)。

 

そして葬儀から1か月ほど過ぎた今、改めて認知症について感じることがありましたので、本日はそのことを書かせていただきます。

認知症の症状と進行

父は8年ほど前まで、小さな住宅設備の会社を営んでいました。文字通り健康だけが取り柄というような人でしたが、10年ほど前から足腰の不調を訴えるようになり、次第に1日中ゴロゴロするようになりました。

 

ほどなく朝からの飲酒が始まり、社会的なつながりも絶えました。町内の集まりや趣味の柔道の行事も欠席し、心配して様子を見に訪れた知人にも会わないということが多くなりました。
また聴力の低下が進み、特に飲酒時には会話ができないほど聞こえが悪かったようです。

 

5・6年ほど前からは、会話の端々に不審な面が目立ち始めました。数分前に伝えたことを忘れる、日にちを間違えるといったことが多くなりました。

 

2年半ほど前に母が体調不良で入退院を繰り返すようになると、父の病状は顕著に悪化しました。排泄を失敗したまま着替えないでいることもしばしばで、母の面倒をみていた私に対する暴言暴力も現れ始めました。また私が全盲であることに付け込んで、うそをついて酒代をだまし取ったこともありました。

 

私も母の面倒との両立に耐え兼ね、1年半ほど前に父を専門医に連れて行き、その日のうちに入院ということになりました。

診断結果

私は当初、アルコール依存症の面から父への対策を検討し、行政などへの相談を試みました。しかし、入院先の主治医の診断はアルコール性認知症というものでした。

 

つまり、一連の症状の直接的な原因がアルコールというより、アルコールによって認知症が引き起こされ、その症状の一つである“抑えが効かなくなる”ことによってアルコールの摂取が続いたということでした。
こうして書いてみると、負のスパイラルだったわけですね。

認知症がもたらすもの

父が他界して1か月。私が感じることは認知症は家族や親しい人からの愛情を奪ってしまうのかもしれないということです。

 

 

私は、特に父が入院するまでの2年間ほどのことを、忘れることができません。病院の受診を進める家族の言葉を無視し続け、あまつさえ暴力までふるい、人の弱みに付け込んで金銭をだまし取る……。

 

真面目と健康だけが取り柄だったような父を、認知症(あるいはアルコール)が一変させてしまいました。勿論、病気の症状としてそのような行為が行われていることは、頭では理解できます。しかし、信条としては到底納得できません。愛情をもって接し介護するなんて、到底できませんでした。葬儀のときにも、涙どころか安堵してさえいました。

 

認知症になるということは、単に物忘れや徘徊といった諸症状が起きるということだけでなく、家族や親しい人から愛されなくなってしまう…愛されなくなるようなことをしてしまうということなのかもしれないなーというのが、強く感じたことでした。

もし、早期に診断を受けていたら…

しかしこうして時系列にしてみると、父はMCIや仮性認知症ではなかったのか、少なくとも早期に医師の診察を受けていたらそういう診断になったのではないかと思える点もあります。

 

そして、以前の記事でも取り上げたように、MCIや仮性認知症なら回復の余地もあったはずです。(もっとも、父自身が極度の医者嫌いだったこと、病院代として渡したお金を酒代にしてしまう人だったことからして、早期の受診は無理だったとは思いますが…)

 

 

  • Twitter
  • Facebook
  • LINE