新型コロナの流行がもたらしたクリーンな空―大気汚染と認知症の関係―

2020/05/29
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新型コロナウィルス感染症(COVID-19)によりお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げます。
また、罹患された皆様および関係者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

 

今週26日、新型コロナウィルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言が全面解除されました。
状況が落ち着いているうちに、次なる流行に対する備えを進めておきたいですね。
医療や介護の体制をより強固なものにする社会的な取り組みも期待しています。

コロナがもたらした災い(わざわい)

さて、4月21日のcaféstの記事「『コロナ時代の僕ら』あとがきに続いてー欧州の介護現場からも忘れたくないこと―」では、
イタリアのパオロ・ジョルダーノ(小説家、物理学博士)の問題提起―すべてが終わった時、以前とまったく同じ世界を実現したいのか―を紹介しました。

 

そこには、コロナがもたらした災い、そのなかで白日のもとに晒された自分自身の至らなさや社会の問題点を忘れてはならないというメッセージがありました。
当然、そういう自分自身や社会を変革すべきという示唆も読み込むべきでしょう。

コロナがもたらした幸い(さいわい)

一方、災いとばかり言えない状況も、コロナはもたらしてくれているのではないかと感じています。

 

例えば、次の朝日新聞の記事のタイトルには、コロナがもたらした幸いとも捉えられうる側面が端的に示されていると思います。

 

人が出ないと、現れた 街に動物・澄んだ水・青い空、…コロナ余波

注:有料会員限定で、2020年4月19日付。著者は飯島健太、香取啓介、高田正幸の3氏。

水や空気がきれいになった

この記事の中で、特に「水や空気がきれいになった」という報告に注目しました。

 

「水の都」として知られる世界遺産イタリア・ベネチアの歴史地区。新型コロナウイルスで観光客が激減した結果、住民が驚く変化が表れた。濁っていた運河が透き通り、水の底が見えるようになったのだ。

 

中国でも、新型コロナウイルスが流行した期間に大気や水質の改善がみられた。普段は空が白くかすむことが多い北京でも1月下旬以降は青空が広がる日が続いた。同国の生態環境省が全国337地点を分析したところ、今年1~3月のPM2.5(微小粒子状物質)の空気中の濃度は昨年同期と比べて22%減った。

 

北京で青空が広がる日が続いたという状況と同様に、インドでも大気汚染の大幅な改善により、数十年ぶりにインド北部からヒマラヤ眺望が可能になったそうです。
また、中国で大気に⾶来する汚染物質が減った結果、日本に越境する汚染物質が減り、九州上空の大気汚染の劇的な改善がもたされたという報告が出ています。

温室効果ガスの排出も削減された

さらに、大気汚染物質のみならず、二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出が削減されているという点も注目すべき事態です。

 

独シンクタンク「アゴラ・エネルギーベンデ」は3⽉下旬、2020年のドイツの温室効果ガス排出量は少なくとも5000万トン、場合によっては12000万トン減るとの予測を発表した。ドイツは20年に温室効果ガス排出量を1990年⽐で40%削減する⽬標を掲げてきた。この⽬標は数カ⽉前まで実現不可能とみられていたが、「コロナ危機」によって達成が⾒込まれるという⽪⾁な状況を⽣み出した。

出典:欧州ニュースアラカルト パンデミックは気候危機に何をもたらすのか(著者は八田浩輔氏)|毎日新聞2020年4月9日付

 

中国でも、31⽇までの4週間で⼆酸化炭素(CO2)排出量が2億トン減少(前年同期比で25%減)し、国内の発電所の⽯炭消費量が3割減ったと推計されています。(出典:同上

水や大気がきれいではない社会に戻してよいのか?

これらの環境改善は良い変化ではないのでしょうか?
水や大気がきれいでない社会に戻してよいのでしょうか?

 

元に戻して、元の世界とまったく同じ世界を再現してしまったならば、災い(わざわい)がまた降りかかりやすくなるばかりではなく、気づくことができた幸い(さいわい)、すなわち、きれいな水や空気という自然の恵みにお目にかかれなくなってしまうことでしょう。

大気汚染と認知症の関係

新型コロナの流行がもたらしたクリーンな空は、つかのまの僥倖かもしれませんが、私がこの点をコロナがもたらした幸いとしてクローズアップし、注意喚起したいと思うのは、認知症との関係においても大気がきれいであることは大切と認識させてくれる論文が本年3月に発表されていたためです。

 

論文はこちらになります。

Association Between Cardiovascular Disease and Long-term Exposure to Air Pollution With the Risk of Dementia”|JAMA Networkのサイトから  

注:著者はGiulia Grande, Petter L. S. Ljungman, Kristina Eneroth, Debora Rizzuto4氏で2020330日付

研究概要

・スウェーデンの首都ストックホルムのクングスホルメンの2927人の住民のデータ

・1人の住民あたり平均して6年追跡したデータ(データ収集期間は2001年~2013年)

・この2927人は追跡スタート時点では認知症がなく、スタート時点での平均年齢は74.1

・2種類の大気汚染物質、PM2.5および窒素酸化物1990年からデータ収集をしており、今回の分析での指標とした

 

補足:大気汚染物質、PM2.5および窒素酸化物について

補足①:PM2.5

PM2.5は、大気中に浮遊している直径2.5μm以下の非常に小さな粒子です。微小粒子状物質という言い方もされています。
1μm(マイクロメートルは)は1mm1000分の1です。

直径2.5μmというPM2.5が、どのくらいのサイズかと言いますと、人の髪の毛の直径が約70μmですので、その35分の1以下の大きさになります。

 

このように、粒子の大きさが非常に小さいため、肺の奥深くにまで入り込みやすく、ぜんそくや気管支炎などの呼吸器系疾患や循環器系疾患などのリスクを上昇させると考えられています。

 

なお、お住まいの地域のPM2.5濃度は、以下のサイトで確認できます。

大気汚染物質広域監視システム「そらまめ君」

補足②:窒素酸化物

窒素酸化物は高温で物が燃えるときに発生する窒素の酸化物、例えば一酸化窒素や二酸化窒素などの総称です。
大気中では、ほとんどが二酸化窒素の状態であり、二酸化窒素は、高い濃度のときに人の呼吸器(のど、気管、肺など)に悪い影響を与えると言われています。

 

お住まいの地域の一酸化窒素、二酸化窒素の濃度も、大気汚染物質広域監視システム「そらまめ君」で確認できます。

研究結果①-大気汚染物質の濃度(単位μg/㎥)と認知症罹患の関係―

・追跡期間中、2927名のうち364名が認知症に罹患

・2927名を認知症にかかった(表では認知症〇)364名と、認知症にかからなかった(同認知症✖)2563名にグループ分けして、居住地の過去5年の大気汚染物質(PM2.5及び窒素酸化物)の濃度の平均値を比較

 

大気汚染物質の濃度(単位μg/㎥)と認知症罹患の関係

全体
2927名
認知症〇
364名
認知症✖
2563名
PM2.5 8.4 8.5 8.3
窒素酸化物 25.9 26.9 25.8

 

2927名全体の居住地のPM2.5の濃度は8.4μg/㎥で、窒素酸化物の濃度は25.9μg/㎥でした。
1μg(マイクログラム)は1gの1000分の1です。

 

認知症を罹患した場合とそうでない場合の居住地の濃度を比較したとき、PM2.5も、窒素酸化物も、認知症を罹患している方の居住地で高いという結果でした。「8.5 VS 8.3」、「26.9 VS 25.8」と、決して顕著な差ではないかもしれませんが、統計上も有意差ありという判定になっています。

注:分析枠組みとしては、認知症が発症した場合と、そうでない場合の過去5年の濃度の比較です。認知症が発症した時点からの過去5年の濃度という定義に対して、認知症を発生していない場合の過去5年の濃度というのが厳密には分からないものの、分析上の定義がなされて計算されていると考えられます。

研究結果②―大気汚染物質の濃度が増すごとに認知症の罹患率は変わるのか?―

今回のデータをもとに、大気汚染物質の濃度が増えるごとに、認知症の罹患率がどう変わるかを統計的に算出(注:ハザード比)した結果が以下になります。

変化量(μg/㎥) 認知症の罹患率
PM2.5 0.88 ↑ 1.54倍
窒素酸化物 8.35 ↑ 1.14倍

 

居住地のPM2.5が0.88μg/㎥増えるごとに、認知症の罹患率は1.54倍になり、窒素酸化物が8.35μg/㎥増えるごとに、認知症の罹患率が1.14倍になると計算されました。

研究結果③―疾患を持っている場合に大気汚染物質による認知症の罹患率は変わるか?―

調査対象者全体の2927名のうち、調査開始時点で心不全の方が287名、虚血性心疾患の方が439名いました。
このような疾患を持っている場合の、大気汚染物質が増えることの影響を見た結果が以下の通りです。
この表で、持病Aでの罹患率は調査開始時点で心不全であった方における認知症の罹患率で、持病Bでの罹患率は調査開始時点で虚血性心疾患であった方における認知症の罹患率です。

対象者
全体での
罹患率
2927名
持病A
での
罹患率
287名
持病B
での
罹患率
439名
PM2.5 1.54倍 1.93倍 1.67倍
窒素酸化物 1.14倍 1.43倍 1.36倍

 

前述のとおり、居住地のPM2.5が0.88μg/㎥増えるごとに、認知症の罹患率は1.54倍と計算されましたが、調査開始時点で心不全であった場合には1.93倍、虚血性心疾患であった場合は1.67倍になり、大気汚染物質が増えることによる認知症の罹患率は高まります。

 

同じく、居住地の窒素酸化物が8.35μg/㎥増えるごとに、認知症の罹患率は1.14倍と計算されましたが、調査開始時点で心不全であった場合には1.43倍、虚血性心疾患であった場合は1.36倍になり、大気汚染物質が増えることによる認知症の罹患率は高まっています。

コメント

心不全や虚血性心疾患をお持ちの場合に大気汚染物質による認知症の罹患率が高まるという結果について

大気汚染物質の濃度が増えることで、認知症の罹患率が高まるという結果は、持病のあるなしに関わらず、対象者全体で一般的に確認できたことです。
そのうえで、心臓や血管の持病(心血管疾患)がある場合に特に高まるという結果を見てますと、新型コロナウィルスに感染した人でどういう属性の人で重症化しやすいかという議論が思い起こされます。

 

中国での新型コロナウィルス感染患者約45000人のデータでは、下表のとおり、持病のない患者と比較して心血管疾患、糖尿病、慢性呼吸器疾患、高血圧、がんの患者では致死率が高くなるという結果が得られており、持病、特に心血管疾患があることでリスクが高まることが明瞭に確認できます。

致死率
持病なし 0.9%
心血管疾患 10.5%
糖尿病 7.3%
慢性呼吸器疾患 6.3%
高血圧 6.0%
がん 5.6%

出典:年齢、基礎疾患、肥満、性別、喫煙・・・新型コロナが重症化するリスクは?(著者は忽那賢志氏)|YahooJAPANニュース 2020418日付

日本の空はきれいなのか?

スウェーデンの首都ストックホルムのクングスホルメンの2927人の住民の居住地のPM2.5の濃度の平均は8.4μg/㎥で、PM2.50.88μg/㎥増すごとに認知症罹患率が1.54倍になるという結果でした。

 

これを頭に入れていただき、日本の空のPM2.5の濃度を確認してみましょう。
平成18年度~平成22年度の都市部のPM2.5の濃度は1520μg/㎥、非都市部では1015μg/を推移しています。

出典:微小粒子物質(PM2.5)に関する情報|環境省

 

よって、スウェーデンの先ほどのデータと比べれば、日本のPM2.5の濃度は高いという結果でした。PM2.5の濃度の違いは認知症の罹患率を変えることを踏まえれば、大気汚染物質による認知症の罹患率はスウェーデンのこの地区より日本で高いという計算になります。

注:同様に、窒素酸化物でもスウェーデンのこの地区と日本での比較を行いたかったのですが、スウェーデンの研究ではμ/㎥という単位が使われているのに対し、日本ではppmという単位が使われているなど、俄か勉強したレベルでは力及ばず、単位を揃えての比較が難しいと感じたため、断念しています。

普段は意識しないでいる「空の重み」

 

こんな具合に考えていくと、住む場所の違いで、知らず知らずのうちに負荷がかかっているように思われ、急に普段は意識しないでいる「空の重み」が出現する錯覚に襲われます。

 

このような知見を積み重ねていき、認知症のリスクという観点からも、大気汚染物質の濃度の増加への警鐘を鳴らしていくべきと思います。心血管疾患などの持病を持って生きる状況も考慮するならば、なおのことそうです。
そして、経済活動の追求は、大気汚染物質の濃度を増やさないという条件の下で、推進されることを望みます。

 

(文:星野 周也)

 

<参考>(本文中で示したもの以外)

1. 安倍首相 緊急事態宣言の全面解除表明|FN PRIME online 2020年5月25日付

2. 緊急事態宣言の全国解除を安倍首相が表明。「“日本モデル”わずか1カ月半でほぼ収束させることができた」|ハフポスト日本版 2020年5月25日付

3. 新型コロナは「敵」ではない。哲学者が説くウィルスとの「共生」(著者は渡邊 雄介氏)|Forbes Japan 2020年4月18日付

4. 中国の都市封鎖で九州の大気が劇的改善 ピーク時の10分の1(著者は今井 知可子氏)|西日本新聞 2020年5月18日付

5. 大気汚染と認知症の関連にCVDが介在(著者は小路浩史氏)|Medical Tribune 2020年4月15日付

6. クングスホルメン|在日スウェーデン大使館公認 観光情報サイト

7. 「PM2.5」による大気汚染 健康に及ぼす影響と日常生活における注意点|政府広報オンライン 平成30年2月1日付 

8. SPM, PM2.5, PM10, ・・・, さまざまな粒子状物質(著者は新田 裕史氏)|国立環境研究所

9. 排出物質:窒素酸化物|環境再生保全機構

10. 大気環境に関する用語集 > 窒素酸化物(NOx)|環境再生保全機構

11. 大気汚染物質(常時監視測定項目)について|そらまめ君

12. 新型コロナ、重症化招く基礎疾患 心血管系リスク(著者はNsikan Akpan氏、訳はルーバー荒井ハンナ氏)| 日経スタイル ナショジオ 2020年3月27日付

13. 平成27年度大気汚染の状況|環境省

 

 

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