百寿者の科学と40代から出来ること
2019/05/21
こんにちは。認知症Cafést編集スタッフのSです。
百寿者を科学するという記事が目に留まりました。
100歳以上の「百寿者」を科学する その体の共通点は|朝日新聞デジタル2019年5月2日付(有料記事)
センテナリアン、スーパーセンテナリアン
100歳以上のお年寄り「百寿者」をセンテナリアンと呼び、110歳以上はスーパーセンテナリアンと呼ぶのだそうです。
百寿者、超百寿者という和の言葉で十分良いのではないかと思いますが、センテナリアン、スーパーセンテナリアンと言われてもしっかりついていきたいです。
「80過ぎたら生き仏」から「百歳過ぎたら生き仏」へ
三好春樹さんが1997年に『関係障害論』(昨年出た新装版のアマゾンのページへのリンクを貼りました。)という著作で「80過ぎたら生き仏」と言われました。
私なりに敷衍しますと、「80過ぎたら生き仏」という言い回しには、高齢で認知症の症状が見られるようになり、「食事を食べてくれない」、「夜も寝付かず元気に声を出されている」など理解(人智)を超える言動が見られたとしても、無理やりこちらのコントロール下におこうとすることは、不遜で罰が当たりかねないことであるから、ありがたく受け止めるのが良いのではないかというポジティブな含意があります。明るい気持ちになります。
1997年から20年が過ぎましたので、現在では80歳のところを百歳と改めてもよいのではないでしょうか。「百歳過ぎたら生き仏」です。もっとも百歳を超えるかどうかという厳密なこだわりにはあまり意味がないと思いますので、「百歳近くなったら」と少しぼかしても良いだろうと思います。
センテナリアン、スーパーセンテナリアンの体の共通点
記事で書かれていることはとてもシンプルです。
センテナリアンの体の共通点
スーパーセンテナリアンの体の共通点
・動脈硬化が軽度
(さらに)スーパーセンテナリアンの生活習慣や性格の共通点
・喫煙はしない
・酒は飲まないかたしなむ程度
・性格は外向的
百歳まで生きることは幸せなのか?
さて、上記の結果は百寿者のことを知りたいという思いに応えてくれていますが、私の行動変容をもたらす決定的な影響力を持つかというとそこまでは言えません。長生きに至る抜け道や魔法はないという感想を持ちます。何歳まで生きられるかは人間の意思や努力でコントロールできることをやはり超えていて、「神のみぞ知る」という考えはゆるがないと思ってしまいます。
また、百歳まで生きることは幸せなのでしょうか?このことは長生きに対するモチベーションにとって大きな因子になると考えられます。幸せだと思えるならば長生きしたいと思うことでしょう。
平成から令和へのお代替わり時に大正から生きている瀬戸内寂聴さんが語ったこと
そんななかで、大正から生きていて、百歳に近い瀬戸内寂聴さんが過去の思い出を語る記事を目にしました。それは長生きの希望を伝えてくれるものと思いました。
記事はこちらです。
陛下は私のただ一人の… 美智子さんは寂聴さんに語った|朝日新聞デジタル2019年5月10日付(有料記事)
一九二二(大正十一)年五月十五日生まれの私は、この五月十五日で満九十七歳になる。よく食べるし、よく眠るし、今でも、こんな仕事をしているのだから、まだ死にそうにもない。長生きが何より望ましい人間の幸福だったような時代は、とうの昔になくなって、今ではなかなか死ねない人生が、人間の老後の不幸を招いているように考えられている。
それでも長生きしたおかげで、私はさまざまなこの世の習わしを見たり、経験したりしたことで、得をしたように思う。
この世の習わしを経験してきた一例として、平成から令和へのお代替わりと重ねて、幼児のときに経験された、お代替わりの御大典の記憶を語られています。これはおそらくは大正から昭和へのお代替わりの行事―昭和3年(1928年)―のこと、したがって、1922年生まれの寂聴さんにとっては6歳の頃の話と推測されます。
私の生まれた徳島の町ではお盆でもないのに、町じゅうで阿波踊りをするといってはりきっていた。早くから三味線や鐘、太鼓のおさらいの音が通りのあちこちから聞こえはじめていた。(中略)
御大典の当日は、町の通りという通りは、変装の人たちの行列で埋まり、その人々が踊りだすと、どの連も負けじと三味線を鳴らし、太鼓を叩(たた)くので、賑(にぎ)やかに湧き立っていた。「ごたいてん」というのがどういうことかわからないまま、こんな面白い日が一年に何度もあればいいのにと踊っていたことを思いだす。
寂聴さんには幼な心の感覚がありありと残っているのでしょうか。
子どもも大人も浮き立っていて、お祝いや慶びを皆で分かち合っている状況がよく伝わってきます。
寂聴さんと同じく大正から生きる祖母が語っていたこと
寂聴さんとほぼ同じ年齢(同じかプラスマイナス1程度の差)で、老人ホームで暮らしている祖母も無事に令和を迎えました。寂聴さんの言葉につられて、祖母がよく言っていたことも書き留めておきたいと思います。
・子どもの頃、周囲の大人たちが天皇陛下の話になると、大変あがめたてまつって話すので神様のような存在だった。
・当時天皇陛下が近くにお出ましになられたとき、曇り空がぱーっと晴れ、思わず手を合わせた。
心の清らかな娘さんの映像が思い浮かびます。寂聴さんの語りと同様、汚してはならない子どもの純粋さが感じ取れます。そして、今に続くような感覚と、今の感覚とは異なる当時の時代ならではの感覚とを伝えてくれる生きた証言と思われて、感動します。
長生きの希望
寂聴さんも祖母も、この世に生まれて、ある習わし(文化)のなかで生きて年を重ねていくという道理(?)を現在進行形の老いのただなかで見せてくれたり、教えてくれていると思います。そして、そのなかに、生きていくことの善さや素晴らしさも感じ取ることができるため、「長生きの希望」と言ってみました。
百歳まで向かうために40代から出来ること
百歳までの道のりは遠い(笑)です。
アラフォーの私は、まず40代を乗り越えなくてはならないと思います。
認知症を心配する前に、がん、心血管疾患、糖尿病などの生活習慣病が気になります。それを超えた先のステージに、認知症予防が待っているというような感覚があります。
しかし、マツやK(後に関連記事として示す)が取り上げている、ランセットの論文では、中年期(45歳以上、65歳以下)の高血圧、肥満、難聴(聴力低下)が将来の認知症リスク要因として挙げられています。したがって、効果に時間差があるかもしれませんが、塩分対策、メタボ対策などの生活習慣病予防(近い未来に期待される効果)が、認知症予防(遠い未来に期待される効果)につながっていると考えることができます。
そんな大きな時間のスケールで(と言っても難しいですが・・・笑)、40代から出来ることに取り組んでいきたいと思います。
<参考>(本文で明示したもの以外)
・映像に見る近代京都の生活文化|京都市文化観光資源保護財団のサイトより
・認知症予防は子ども時代から?実は欧米では患者が減っている! 第1回 改善すれば認知症を減らせる「9つのリスク要因」とは?|日経Gooday2019年3月18日付(有料記事)
<認知症Cafést内関連記事>